ソフトテニスで挫折し鍼灸の道を選択

インタビュアー 八木裕(野球解説者)
越智 私は愛媛県今治市出身で、小学生の頃からソフトテニスに打ち込んでいました。中学は地元の玉川中学、高校は松山市の済美高校とソフトテニスの強豪校に進学し、寮に入った高校時代には毎晩夜10時頃まで猛練習に明け暮れる日々を過ごしていたんです。その結果、インターハイや国民体育大会にも出場することができました。そういった経験もあって、当時の夢はソフトテニス部の監督になることでしたね。
八木 まさにソフトテニス一筋の青春時代を過ごされていたのですね!
越智 ええ。その後も大阪体育大学に進み、プレーを続けていました。しかし、あるとき肩を故障してしまったんですよ。それで残念ながらソフトテニスの道は断念し、心機一転、鍼灸師の道という、新たな人生を選択しました。
八木 治療家としての選択肢の一つに、スポーツ界でトレーナーになるという道もあったかと思います。なぜ、越智社長が主にお年寄りを対象にした鍼灸師という未知の世界を選んだのか興味が湧きますね。詳しいお話をうかがいたいと思います。