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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

確かな技術に誇りを持ち
塗装で日本中に作品を!

 

突然訪れた人生の転機

 
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竹之内 塗装職人になって10年が過ぎたある日のことでした。その日は給料日だったにも関わらず、夕方、事務所に行くとシャッターが閉じたままで、普段と様子が違ったんです。日頃から義兄が資金繰りに苦労していたのを知っていたので、「もしや」と思いました。悪い予感は的中、義兄夫婦は蒸発してしまったんです。私は義兄の保証人になっていたため、その日を境に、いきなり数千万円の借金を背負う身になってしまいました。
 
内山 まさに青天の霹靂ですね。最悪の状況に陥り、途方に暮れたことでしょう。
 
竹之内 最初こそ、自分の置かれた状況が受け入れられなくて、「やってられるか」という気持ちでしたね。でも、すでに引き受けていた仕事もたくさんありましたし、当時の職人も誰一人やめることなく残ってくれたんです。「自分がみんなを一つにまとめていくべきなのかな」という思いが自然と芽生え、2001年に弊社を設立しました。当時は、本当に寝る間もなく働きましたよ。家に帰れず、車の中で寝ることも多く、よく警察に職質されたものです(笑)。
 
内山 誰よりもがむしゃらに働き、奔走する竹之内社長の姿を見て、社員の皆さんの気持ちも鼓舞されたのではないでしょうか。先が見えず不安が大きい中、全員が残ったというのは、日頃から信頼関係が築けていた証拠だと思います。信じてついてきてくれたというのは嬉しいことですね。
 
竹之内 ありがたいですね。一人では乗り越えることはできませんでしたから。当時は本当に大変だったものの、あの頃の経験が今につながっていると感じています。多少無理をしながらでも、最大限に力を尽くしてきたからこそ、恵比寿塗装店の今があるのだと思います。いい経験になりました。
 
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内山 過酷な経験も糧にして歩んできた竹之内社長の強さが伝わってきました。紆余曲折を経て、起業から20年。恵比寿塗装店さんの現在の主な事業内容についてお聞かせください。
 
竹之内 大手塗装会社の下請けとして、建築塗装を請け負っています。これまで、歴史ある百貨店や有名ブティック、タワーマンションから小学校に至るまで、さまざまな建物の内外装塗装を行ってきました。著名な設計士の先生が手がけた建造物の塗装に携わった経験もありますよ。
 
内山 大きな案件に多く関わっているんですね。苦労した時代を思うと、ここまで返り咲いたのはすごいことですよ。
 
竹之内 ありがとうございます。周囲の人に恵まれたこと、あとは、どんな仕事も妥協せず、真摯に向き合い、一つひとつ信頼を積み重ねてきた結果なのかなと思います。