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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

食生活の提案を通して
体を内側から健康に!

 

旧態依然としたチームに新風を送り込んだ

 
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水野 こうしてお話を聞いていて、古賀社長はスポーツ栄養学という分野に早い時期から注目されていたんだなと思いました。
 
古賀 そうですね。スポーツ栄養学は、文献やセミナーなど独学で勉強し実践していました。当時のバレー部の総監督は60歳前後だったかと思うのですが、食事も含めて、チームづくりの方針がまさしく根性論でした。私が入社する前は、冬のリーグ戦のときの選手の食事は、毎週カツカレーだったそうです。「ええ! まさかのゲン担ぎ!」と驚いたことを覚えています(笑)。それで、私が食事を担当するようになってからは、栄養バランスを考慮したメニューに切り替えたんです。
 
水野 最初から古賀社長の意見は通りましたか?
 
古賀 難しかったです。年功序列の世界で、若い女性の意見はまったく通らなかったですね(笑)。入社1年目は、遠征先での食事調整など試合に合わせた食事管理など、やりたいことはほとんどできませんでした。それでも総監督に食い下がって、「食事管理全般をやらせてもらえないのなら辞めます!」と言って、やっとOKをもらい、2年目からいろいろやらせてもらえるようになりました。
 
水野 まるで昭和の熟年夫婦のようなやりとりですね(笑)。
 
古賀 今では笑い話ですが、そこまでしなければ、意見が通せない世界だったと思います。選手のパフォーマンスの向上が私の仕事。そのために頑張り続けた結果、日頃の食事調整から遠征先の食事や補食のスケジュール管理まですべて任せてもらえるようになりました。ただ、自分自身が疲れてしまって、3年ほど勤めて退社することにしました。その後、ご縁があって全日本スキー連盟のナショナルチームでの海外合宿の帯同を経験しました。
 
水野 ナショナルチームの選手への帯同! 華やかなお仕事だなぁ。
 
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スポーツをする子どもたちに食生活のアドバイスをしている
古賀 ただ、安定した仕事ではなかったですし、海外合宿に1ヶ月行って、日本で2ヶ月アルバイトといった生活でした。それで、スポーツ栄養の仕事は区切りをつけて、まったく違うアパレルの世界に身を置き、デザイナーズブランドでのショップマネージャーや外資系ラグジュアリーブランドでのセールスを経験しました。これで生きていこうと思っていた30歳過ぎた頃、「社会に対して自分は何ができるのだろう? 社会に対してどうありたいのだろう?」と考えるようになりました。そう考えたときに、確かにファッションの世界も楽しいけど、果たしてこれが私にできる社会貢献なのか? と考えたときに何か違うなと。そして「やっぱり食の世界で」と改めて決心したんです。
 
水野 さまざまな社会経験を経て、ご自身の原点である「食」の道を選び取ったわけですね。
 
古賀 はい、一人でも多くの人に食生活の大切さを知ってもらおうと決心しました。そこで、勤めていた会社を辞めて短期大学に入学し、アルバイトをしながら栄養士の資格を取得し、学校栄養職員や会社員として栄養士の実務経験を経て、管理栄養士資格を取得しました。その後、食品メーカーでレシピ開発の仕事しながら、社会人大学院でストレスマネジメントと食習慣の研究を行い、大学院修了を期に起業することになりました。
 
 
 
 

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