アパレル会社を経て飲食店の経営者に

インタビュアー 八木裕(野球解説者)
大内 私はもともと建築関係の仕事をしていたわけでなく、最初に勤めたのはメンズカジュアルのアパレル会社だったんです。
八木 スタイルもよくオシャレだなぁと思っていたら、そういうことでしたか。では、どのような道をたどって建築の世界へ進んだのでしょう。
大内 そのアパレル会社では企画・販促・売り場のレイアウトなどさまざまな仕事を経験しました。ただ、私がどうしても一度やりたかった仕事は、飲食店の経営だったんです。それで10年後に退社し、妹と姪の3人でイタリアンジェラートとピザのお店を出すことにしました。
八木 これは意外な転身ですね。店を出すのもひと苦労だったのでは?
大内 はい、イタリアの家庭で親しまれている本場のピザのつくり方を習うため東京で修業を始めたんです。妹も、当時はまだ珍しかったイタリアンジェラートのレシピを頑張って覚えました。そうやってノウハウを培ってオープンしたおかげで、小さいけれどモダンな私たちの店は、知る人ぞ知る人気店になったのですが、諸般の事情がかさなり閉店せざるを得なくなりました。