印刷業のイロハを身につけて3代目に

インタビュアー 狩野恵輔(野球解説者)
奥村 私は大学を出た後、父親から「外で修業してこい」と言われて、文字の書体(フォント)をつくる会社に就職して2年間勤務しました。父親自身が外での修業を経験せずに家業を継いだので、私にはそうさせたくなかったんだと思います。
狩野 なるほど。親心を感じるエピソードです。社会人としての第一歩はいかがでしたか?
奥村 その会社の社長とうちの父親は以前からつき合いがあったので、「厳しく育ててくれ」と告げていたのかもしれませんね。おかげさまで社会とはなんぞや、という基本のところをみっちり教わりました。また、印刷業は文字を使う仕事なので、フォントづくりは非常に勉強になりましたし、今に生きています。
狩野 将来を見据えた実りある準備期間だったでしょうね。そうした修業時代を経て、20代半ばで家業に入ったわけですか?
奥村 はい。社長の息子といってもペーペーのイチ個人からのスタートです。営業職にはじまり、製版、編集、印刷機を稼動させるなど、ひと通りの業務を経験させていただきました。だから、2013年に代表に就任してからも、必要とあればすべての現場業務に対応できます。