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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

覚えられない人のための
楽しく学べる韓国語教室

 

日本語教師として韓国で活躍したのち、帰国

 
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内田 生徒さんの多くは会社員ではあるものの、BTSに興味を持った小学生がお母さんに付き添われて来たこともあります(笑)。皆さん、目標を持って和気あいあいと学んでおられますね。外国語を話せる喜びを知っていただけたら嬉しいです。私自身、気付いたら14年、韓国で日本語講師をしていました。楽しい時間でしたから、あっという間でしたね。
 
麻乃 すごい! 本場韓国で、語学を教えておられたんですか! いきなり海外で語学を教えるなんて、相当な勇気が必要ですよ!
 
内田 はい。私の学生時代はバブル期で就職先にも困らなかったのですが、あまのじゃくな性格で(笑)。みんなと違うことがしたかったんです。大学を卒業後、思い切って韓国に飛び込んで、日本語を教える仕事に就きました。
 
麻乃 そもそも内田代表は、韓国語にどのような魅力を感じておられたのでしょう?
 
内田 私は英語の習得には挫折しましたが、韓国語には日本語に近い言葉のような親しみやすさを感じていました。だから、それなりに上達できたのかもしれません。韓国にいたときに、働いていた語学学校でアルバイトをしていた韓国人大学生と仲良くなって、毎週末お酒を飲みながらたくさん話したことも大きいです。外国語を使えると、日本人同士の会話とはまた違った楽しみがあります。韓国の方とのコミュニケーションを通じ、世界観や価値観が大きく変化しましたね。
 
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麻乃 内田代表にとって韓国は、言語的にも文化的にも居心地が良かったのでしょう。そこからどのような経緯で現在に至ったのですか。
 
内田 日本語教師としては韓国随一の語学学校で日本語部門責任者にもなりました。ただ同時に韓国でのキャリアとしては最高峰まで登りつめたので、「もっと自分の力を試してみたい」と思い立って日本に帰国し、当時、韓国人がたくさんいた新大久保で、韓国人向けの日本語教室を開いたんです。しばらく順調だったものの、2011年に東日本大震災が起きて生徒さんたちが帰国してしまったんですよ。途方に暮れていたところ、新大久保に日本人が集まるようになりまして。それで、ノウハウはあるから、韓国語教室を始めてみようと一念発起し、今に至ります。
 
麻乃 波瀾万丈でドラマみたい! 時代とともに歩んでこられたことがよくわかる素敵なストーリーですね。