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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

理念は楽しむ人を増やす
製造業のイメージを変革

 

娘の一言によって仕事観が大きく変わる

 
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鶴久 飯塚社長は社会人の第一歩から、こちらの会社でキャリアを積んでこられたんですか?
 
飯塚 いえ、最初は別の会社に就職しまして。その後、父に「仕事を手伝わないか」と言われ、弊社に入ったんです。私は、幼少期から父と一緒にラジコン模型をつくるのが好きだったので、ものづくりの仕事は楽しく感じました。ただ、正直なところを言いますと、会社を継ぐつもりはなかったんです。というのも、子どもの頃から周囲の人々に「いずれは会社の跡取りになるんだろう」と言われ続けていて、それがものすごくプレッシャーだったんですよ。
 
鶴久 その気持ちはわかりますよ。私の実家も、かつては父が青果店を営んでいたんです。ただ、私も周囲からいつか店を継ぐと思われていることに対して、あまり良い気持ちではありませんでした。でも、自営業だったこともあり、子どもの頃は家に帰れば家族みんなが常にいたので、今思えば温かい家庭だったと思いますね。飯塚社長は、二代目に就任してから何年ほどになるのでしょう。
 
飯塚 私が29歳の頃に代表取締役に就任しましたので、かれこれ15年ほどになりますね。
 
鶴久 かなりお若くして、会社経営を継ぐことになったわけですか。
 
飯塚 はい。実は当時、父が病気を患い入院することになりまして。その間、病室で経営について聞きながら父の業務を代わりに行っていたものの、残念ながらしっかりと学ぶ時間もなく、父はそのまま他界してしまいました。そして急遽、私が会社を継ぐことになったんです。それから5年ほど、右も左もわからないまま、必死に経営を続けていました。その頃は、従業員やそのご家族の生活を守るためにも、会社をたたむわけにはいかないと、大きな重圧を感じていましたね。
 
鶴久 なるほど。準備もままならない中で、大変なご苦労を経験なさったんですね。
 
有限会社若葉精工の経営理念
有限会社若葉精工の名刺裏に記された経営理念
飯塚 ええ。本当にどん底の状態でしたね。自宅にいても落ち着かず、ずっと眉根を寄せてしかめっ面をしていました。そんな時、小学生の娘に「そんな顔じゃ良いものはつくれないよ」と言われたんですよ。私は、その言葉に思わずハッとするとともに、心から救われました。それからは楽しもうという気持ちを持つことで、余裕をもって仕事に取り組めるようになったんです。
 
鶴久 娘さんの一言がきっかけとなって仕事観も大きく変わったと。とても素敵なエピソードだと思いますよ。