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建設事業を礎に、生コンクリートの製造や運輸、建設資材販売などへ事業領域を広げてきた神栄グループ。その一社である株式会社東神戸宇部生コンを率いるのが、地神秀人代表取締役社長だ。父である地神秀治取締役会長が築き上げてきたグループの歩みや思いを受け継ぎながら、同氏が現在、特に注力しているのが若い人材の採用と育成である。神栄建設グループ野球部の創設を契機に、自身が培ってきた野球界でのつながりも生かして高校や大学へ自ら足を運び、新卒採用を積極的に進めている。また、長年現場を支えてきた熟練者と若手社員をつなぎ、その技術を次世代へ継承していくことも自身の大切な役割だと語る。「会長には会長のやり方があり、自分には自分のやり方がある」。人を集め、育てることでグループの新たな未来を切り拓こうとする同氏に、これまでの歩みや父から受け継いだ思い、次代を見据えた組織づくりについてうかがった。


 
――まずは、秀人社長のこれまでの歩みからお聞かせください。
 
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大学卒業後は日亜鋼業株式会社に入社し、会社員として働きながら野球を続けていました。当時、会長である父からは「家業を継ぐ必要はない。安定した会社で頑張りなさい」と言われていたんです。事業で大変な思いをしてきたからこそ、息子には同じ苦労をさせたくなかったのでしょうね。私自身は結婚して子どもが生まれた頃から家業を継ぎたいという思いが強くなり、一度は父にお願いしたものの、その時は断られました。
 
――そこから、家業に携わることになった転機は何でしょうか?
 
父が癌を患ったことです。一時は容体がかなり悪化し、それを機に父も会社の将来について考えたのだと思います。その後、私も家業に携わることになりました。ただ、父は「息子だから」という理由で、いきなり役員にするような人ではないので、一から経験を積む必要がありました。そこで、当時グループ内には保険代理店がなかったことから、まずは保険事業を担うための修業をすることを父から勧められたんです。
 
以前からグループがお世話になっていた保険代理店で学び、損害保険ジャパン株式会社では研修生として資格を取得して、火災保険の飛び込み営業も経験しました。その後、保険代理店に戻り、現在グループの関連会社となっている株式会社神戸インシュアランスの立ち上げにも携わったんです。そこで数年間経験を積んだ頃、現在の東神戸宇部生コンにつながる工場の話が持ち上がりました。
 
――東神戸宇部生コンは、そこからつくり上げられたのですね。
 
そうなんです。もともとこの場所には株式会社関西宇部の神戸工場がありました。私たちが新たに工場を立ち上げる際には更地になっていたので、父や現在のメンバーたちと一緒に、一からつくり上げたんです。当初は父が社長、私が専務を務め、その後、私が社長を引き継ぎました。
 
――そうして一から経験を重ねてきたことが、現在の経営にも生かされているのでしょうね。
 
そう思います。会社員時代は辞めたいと思ったことも何度もありましたけどね(笑)。でも、父からは「サラリーマンがどれだけ大変なのかを経験しなさい」と言われていたんです。今振り返れば、雇われる側の大変さを自分自身で経験できたことは非常に大きかったと思います。
 
また、家業に入り、父の仕事ぶりを間近で見るようになってからは、経営者としての父のすごさもあらためて実感するようになりました。 
 
――秀人社長から見て、秀治会長はどのような経営者ですか?
 
とにかく厳しい人です。でも、一緒に働くようになって感じたのは、それ以上に優しいということですね。常に従業員のことを見ていて、必要な時にはきちんとフォローを入れる。従業員への投資も惜しみませんし、みんなが「ここで働きたい」と思える会社をつくるのが本当に上手だと思います。
 
何より、自分が一番働くんですよ。現場に出れば自ら重機に乗って、なかなか降りてこない(笑)。言葉だけで人を動かすのではなく、自分の背中で見せる人です。だから、グループには「会長のためなら頑張ろう」という人が本当に多く、私もその一人です。
 
 

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