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良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。
 
 
 
私が初めて新宿・歌舞伎町を訪れたのは大学生の頃。広大な歓楽街に漂うなんともいえない香りと、故郷のお祭りに匹敵する人の多さに心底圧倒されたものです。とはいえ、私のお目当ては、コマ劇前や噴水広場周辺に立ち並ぶ映画館。日中の上映を見終えて外に出ると、あたりはすっかりネオンに照らされた不夜城へと変貌しており、その幻想性に満ちた姿もすこぶる魅力的でした。
 
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今回ご紹介する映画『月影のゴールデン街』は、歌舞伎町の“1丁目1番地”に位置する新宿ゴールデン街を舞台にした物語です。ここはトー横などと比較すると、まるで別世界。戦後の闇市にルーツを持つこの一帯には、低層の木造建築がひしめき、280軒以上もの個性的なお店がギッシリと軒を連ねています。わずか数畳の店内には一見さんから常連客までさまざまな人たちが集い、穏やかに語り合うこともあれば、時には激論を交わすこともあります。こうした伝統と矜持を持つこの聖域は、文化の発信地という以上に、むしろ発酵、熟成の拠点と言ったほうが正しいのかもしれません。ともあれ、学生時代の私にとってはまだまだ気後れする場所で、ようやく知人の後ろについて足を踏み入れたのは30歳を過ぎてから。そんな強い憧れの気持ちや記憶が響き合い、実際にゴールデン街で営業する店を借りて撮影された本作に、すっかり心地よく酔いしれてしまいました。
 
 

*ゴールデン街純度100%の入魂作

 
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物語の始まりは1988年。大阪から上京したばかりのギンジ(粟島瑞丸)は、新宿ゴールデン街のスナック「スイカズラ」に迷い込み、他愛もない話題を巡って丁々発止のやり取りを繰り広げる常連客やマスターと出会います。ほんのグラス1、2杯ですっかり酔いが回り、勢いに任せて「俺はいつか映画監督になってみせる!」と豪語するギンジ。その一途さが皆に気に入られ、彼もまた店に居心地の良さを覚えて、たびたび顔を出すようになります。
 
そうしているうちに、時代は昭和から平成、そして令和へ。昭和天皇の崩御、バブル崩壊、震災、イラク戦争、さらにはコロナ禍まで、時代を象徴する出来事を織り込みながら、それでも本作は舞台をほぼ店内に絞り、35年に及ぶ豊かな人間模様を刻んでいくのです。
 
映画を見ながら、無性に「ああ、いいな」という思いが込み上げました。とびきりうまい酒や料理が出るわけではないし、ビジネスチャンスにつながるコネが得られるわけでもない。それでも、あらゆる損得勘定を抜きにして、この場所で誰かと言葉を交わすこと、時間を共有できることがかけがえのないものに思えてきます。
 
何しろカウンター席に集う人々は、年齢も経歴も肩書きもバラバラ。中には職場のお偉いさんなどもいるのかもしれませんが、ここではそういった荷物をいったん脇に置き、誰もが横一線に並び、対等な立場でウイスキーグラスを手に語り合います。その呼吸と互いへの気遣いが、なんとも居心地のいい空間をつくり出しているのです。彼らは1日の終わりにこうして昼間に抱えた緊張をほどき、疲れを癒やすことで、本来の自分をしっかりと取り戻し、明日へ向かう活力を得ているのかもしれません。
 
 

*自分が何者かを思い起こさせてくれる場所

 
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また、興味深いのはギンジの夢への向き合い方です。彼はいくつになっても最初の思いを手放さず「俺は映画を撮る!」と言い続けます。よく言えば情熱家。少し意地悪な見方をすれば、大きなことを語るばかりで行動の伴わない夢想家。誰よりも自身がそのことを痛感しているのは、他の常連客から「いつ撮るのか」と尋ねられ、さらに「映画に何を込めたいのか」「どんなことを描きたいのか」と重ねて問われた時、言葉に詰まるその表情からも明らかでしょう。
 
しかし同時に思うのです。最初に口にした思いを、35年たっても抱き続けている。それだけでも、立派なことではないかと。夢には短い時間で形にできるものもあれば、一生をかけて少しずつ思いを満たしていくものもある。これは私の想像ですが、ギンジはきっと職場では仕事をソツなくこなすタイプで、「映画を撮りたい!」なんて一言も口にすることはないのでしょう。そんな彼も、ここスイカズラでだけは、自分の心に真正面から向き合える。夢を語る青臭い自分を受け入れてくれるマスターや常連客がいるからこそ、店を訪れるたびに、自分がどこから来て、どこを目指しているのかを見つめ直せるのです。かくも人生と並走してくれるお店があるとは、なんと幸福なことでしょうか。
 
果たしてギンジは夢をかなえられるのか。その答えこそ、この映画なのです。長年テレビ界に携わり続けた錦信次監督は、60歳を機に映画製作の夢に挑み、63歳にして本作で長編映画監督デビューを果たしました。全国公開を目指してクラウドファンディングも実施。目標額を上回る多くの支援を集めました。
 
夢をかなえるのに、早いも遅いもありません。本作からは、長い年月をかけて思いを持ち続け、ついに形にした人の情熱が、じっくりと香り立ってくるのです。
 
 
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『月影のゴールデン街』
出演:渡辺いっけい、粟島瑞丸、前田亜季、松尾貴史、おかやまはじめ、吉岡睦雄、和田光沙、嶺 豪一、橋本恵一郎、丹下真寿美、外波山文明
監督:錦 信次
配給:マジックアワー
10月30日(金)テアトル新宿、アップリンク吉祥寺、テアトル梅田 ほか全国順次公開
 
新宿ゴールデン街の小さなスナック「スイカズラ」。1988年、映画監督を夢見て大阪から上京したギンジは、この店でマスターや個性豊かな常連客たちと出会い、いつしか足しげく通うようになる。昭和から平成、令和へと時代が移り変わる中、夢を追い続けるギンジと、店に集う人々が重ねていく35年を描いた人間ドラマ。63歳にして長編映画監督デビューを果たした錦信次監督自身の人生も、色濃く投影されている。
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牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。




 
 

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