B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

トピックスTOPICS

 
 
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。
 
 
 
憂鬱な梅雨シーズンを抜けたこの時期、「今年の夏休みはどこへ行こう?」と思いを巡らせている方もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな折に偶然観た映画が、旅のインスピレーションを与えてくれることも少なくありません。私にとって、フランスとデンマークの合作映画『新凱旋門物語』は、まさに「この場所に行ってみたい!」と思わせてくれる一作でした。
 
glay-s1top.jpg
新凱旋門といっても、いまトランプ米政権が首都ワシントンでの建設構想を示し、波紋を広げているアレではありません。1989年にミッテラン大統領の肝いりで、パリ西部のビジネス地区ラ・デファンスに建設された、フランス革命200周年を祝うモニュメントのことです。その名の響きから絢爛豪華な装飾をイメージしがちですが、実際にそこに存在するのは、あらゆる華美さを削ぎ落とした中空のキューブ(立方体)。まるでSFの世界から飛び出したかのような巨大な建物が、ルーヴル美術館、コンコルド広場、エトワール広場の凱旋門を通って一直線に延びる“パリの歴史軸”の西端に鎮座しているのだから驚きです。
 

*モニュメント建造にまつわる知られざる逸話

 
glay-s1top.jpg
では、この建造物はいかにして生まれたのでしょうか。物語は、応募者名を伏せて行われた国際コンペにおいて、一つの建築案が選出される場面から始まります。ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンという考案者名が読み上げられた瞬間、関係者は皆「だ、だれ?」と顔を見合わせました。どうやら50代のデンマーク人で、過去に設計したのは自宅と4つの教会だけ。国家的プロジェクトを手がけた経験はゼロ。しかしながら、提示されたアイデアとコンセプトは目を見張るほど素晴らしいものでした。
 
担当官僚のシュビロンが関係各所との調整に努める中、スプレッケルセンには、経験豊富なフランス人建築家のアンドリューがサポートにつきます。この体制によって抜群のチームワークが発揮されるかと思いきや、問題は次から次へと噴き出していきました。理想を貫くことにこだわるスプレッケルセンは、あらゆる過程で自説を曲げず、一方のアンドリューは、限られた予算と日数の中で実現可能なことを成そうと、時にはスプレッケルセンの意向を聞かぬまま作業を進めてしまう。次第に、両者の溝は大きくなっていき――。
 
異国からやってきたスプレッケルセンには、言語や文化、考え方の隔たりがあります。そのうえ、業界でのキャリアの乏しさは否めません。しかし逆に、経験不足だからこそ既存の何物にも染まらず、まさに「怖いもの知らず」の精神で、孤高かつ純粋なまでのビジョンをコンペで示すことができたのも事実です。
 
本作は、プロジェクトを率いるスプレッケルセンの「理想主義」を称賛しすぎるわけでもなく、アンドリューの「現実主義」をしっかりと際立たせながら、度重なる両者の衝突を描くことによって観る者の心を射抜きます。なぜ、これほど他人事と思えなくなってしまうのでしょうか。それは、この社会に生きる誰もが、ビジネスや組織の中で自分の考えをどこまで通すべきかに悩みながら、それでもなお最良、最善の答えを導き出そうともがき続けているからなのかもしれません。
 

*ビジョンを形にする難しさ

 
glay-s1top.jpg
しかし、確実に言えるのは、どれほど優れたビジョンも、多くの人の手を経て初めて形になるということ。その意味で、スプレッケルセンとアンドリューはどちらも不可欠な存在です。いかに「これだけは譲れない」「失いたくない」という核を守りつつ、刻々と変わりゆく状況と相手の立場を踏まえ、互いに譲歩できる余地を見出せるか。当時、両者がけん制し合うのではなく、もっと理想や目的を共有できていたなら、事態はもう少し別の方向へ進みえたのか…。
 
いや、それでも未来は変わらなかったかもしれません。なぜなら1986年にはミッテラン率いる左派が選挙で敗北を喫し、大統領の影響力は大きく弱まってしまうからです。その結果、新凱旋門は徹底した予算削減とコンセプトの修正を余儀なくされ、スプレッケルセンの当初の構想からかけ離れたものへと変貌していきます。結果的にモニュメントは期限内に完成こそするものの、そこには一人の建築家をめぐる悲しみの結末が刻まれることになりました。
 
かくなる外的要因に見舞われ、理想を失っていったプロジェクトを失敗と見るか。それとも、なんとかゴールを切れたこと自体をたたえるべきか。観る人によって評価はさまざまでしょう。ただ、スプレッケルセンとアンドリューのすれ違いを見つめていると、本作が描くものは一つの建築プロジェクトの顛末だけにとどまらないようにも思えてきます。誰かの理想や声が置き去りにされたまま、強者の論理が暴力的と感じられるほど強引に押し通されていく。お互いを尊重した対話の重要性が見失われがちな今の風潮にも、ふと気付かされるのです。
 
果たして私たちはどうあるべきなのでしょうか。パリ郊外から世の中を見つめる立方体は、日々その超然とした姿で、我々に「過去に学ぶこと」を促し続けているのかもしれません。
 
 
glay-s1top.jpg
『新凱旋門物語』
監督・脚本:ステファン・ドゥムースティエ 
出演:クレス・バング、スワン・アルロー、グザヴィエ・ドラン
配給:ミモザフィルムズ
7月17日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか全国公開
 
1983年、パリ。フランス革命200周年を祝う新モニュメント建設の国際コンペで、無名のデンマーク人建築家ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンの案が選ばれる。完璧を追い求める彼だったが、予算や政治的圧力により、当初のビジョンは次第に揺らいでいく。プロジェクトの渦中で、一人の建築家が下す“ある決断”とは――。
©2025 AGAT FILMS, LE PACTE メイン画像:photo Julien Panie

 
glay-s1top.jpg
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。




 
 

関連記事