プロフィール 大阪市西淀川区出身。自動車整備士や運送会社での勤務などを経て、電気工事の世界へ。太陽光発電や高圧設備の施工技術を磨き、38歳で独立する。その後、以前の勤務先への復帰などを経て、2024年に(株)アイ・デンキを設立。現在は、一般の電気工事から高圧受変電設備工事、太陽光発電・蓄電池の設置まで幅広く手がけ、全国の現場にも対応している。社員や協力会社に利益を還元できる会社づくりを目指している。
大阪市大正区を拠点に、一般の電気工事から高圧受変電設備工事、太陽光発電・蓄電池の設置まで幅広く手がける株式会社アイ・デンキ。中でも工場などに設置した太陽光パネルで発電した電気を、その施設内で使う自家消費型太陽光発電の施工に対応できる技術力を強みとし、全国の現場にも対応している。周囲から受けた助けと愛情への感謝を大切にしたいと語る宮下勝代表取締役に、これまでの歩みと会社づくりへの思いを聞いた。
狩野 大阪市を拠点に高圧受変電設備工事、太陽光発電設置工事、蓄電池設置工事、照明工事など、幅広い電気工事を手がける株式会社アイ・デンキの宮下社長にお話をうかがいます。まずは独立までの歩みを教えてください。
宮下 私は学業修了後、自動車整備士として3年間働き、運送会社でも勤務しました。家族の療養を支えるため、看病を優先した時期もあります。その後、30歳頃に仲間から誘われてエアコン設置工事を始めたことが、電気工事の世界へ進むきっかけになりました。
狩野 エアコン設置工事からのスタートだったのですね。そこから、どのように経験を積み、独立へ至ったのでしょうか?
宮下 その後、電気工事会社の協力会社に勤め、太陽光発電が普及し始めると、その施工業務へ軸足を移しました。以前の勤務先では、高圧設備を伴う太陽光発電工事まで対応するようになり、やがて仕事の大半を私一人でこなす状態になったんです。その後、勤務先を退職し、38歳で独立しました。独立後は協力会社の方々から仕事を紹介していただき、約3年間、自分で仕事を請け負っていました。
狩野 宮下社長の技術と仕事ぶりを知る方々が、独立後も支えてくださったのですね。
宮下 本当に感謝しています。しかし、ある時心筋梗塞を患い、2ヶ月ほど入院することになってしまいまして。その際、以前の勤務先の代表から声をかけていただき、再び同社で働くことになったんです。その後、仕事を続ける中で自身が目指す方向性についてあらためて考えるようになり、2023年に退職しました。 それから法人設立や建設業許可取得の準備を進め、2024年に株式会社アイ・デンキを設立したんです。
さまざまな経験をして会社を設立
インタビュアー 狩野恵輔(野球解説者)
宮下 私は学業修了後、自動車整備士として3年間働き、運送会社でも勤務しました。家族の療養を支えるため、看病を優先した時期もあります。その後、30歳頃に仲間から誘われてエアコン設置工事を始めたことが、電気工事の世界へ進むきっかけになりました。
狩野 エアコン設置工事からのスタートだったのですね。そこから、どのように経験を積み、独立へ至ったのでしょうか?
宮下 その後、電気工事会社の協力会社に勤め、太陽光発電が普及し始めると、その施工業務へ軸足を移しました。以前の勤務先では、高圧設備を伴う太陽光発電工事まで対応するようになり、やがて仕事の大半を私一人でこなす状態になったんです。その後、勤務先を退職し、38歳で独立しました。独立後は協力会社の方々から仕事を紹介していただき、約3年間、自分で仕事を請け負っていました。
狩野 宮下社長の技術と仕事ぶりを知る方々が、独立後も支えてくださったのですね。
宮下 本当に感謝しています。しかし、ある時心筋梗塞を患い、2ヶ月ほど入院することになってしまいまして。その際、以前の勤務先の代表から声をかけていただき、再び同社で働くことになったんです。その後、仕事を続ける中で自身が目指す方向性についてあらためて考えるようになり、2023年に退職しました。 それから法人設立や建設業許可取得の準備を進め、2024年に株式会社アイ・デンキを設立したんです。


