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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

安心できるコシヒカリを 南魚沼から届けたい
甚七 代表 佐藤 正幸

安心できるコシヒカリを
南魚沼から届けたい

甚七

  • 代表佐藤 正幸
プロフィール 新潟県出身。自動車整備士として働きながら家業の米づくりにも携わっていたが、農業一本で生きていくことを決意。「甚七」の屋号を掲げ、15haに及ぶ稲田で南魚沼産コシヒカリを生産し、エンドユーザーへの直接販売にも力を注いでいる。「安心して食べられる」をコンセプトに土づくりから収穫、出荷まで一つずつの工程を大切にする姿勢は、全国で厚く支持されている。
 
 
 
新潟県南魚沼市でコシヒカリを生産・販売する、甚七の佐藤正幸代表。15ha、東京ドーム約3個分に及ぶ田んぼを管理し、土づくりから収穫まで目を配りながら、安心して食べられる米を育てている。自動車整備士から農業一本へ転じて約10年。エンドユーザーへの直接販売にもこだわり、「自分が育てたお米をお客様に食べて評価してほしい」と語る。そんな佐藤代表に、米づくりにかける熱い思いをうかがった。
 
 
 

理想の米づくりを志し、一大決心

 
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インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
畑山 新潟県南魚沼市でコシヒカリを生産されている、甚七さん。私はお米が大好きなので大変興味深いです。佐藤代表のこれまでの歩みからお聞かせください。
 
佐藤 私はもともと自動車整備士として勤めながら、家の米づくりを手伝っていました。でも、20代の頃、「米をつくるなら、本気で取り組まないと自分が目指すものはできない」と考えるようになったんです。二足の草鞋を中途半端に続けるのは難しいと思い、農業一本でやっていくことを決めました。
 
畑山 理想のお米をつくるために、決断されたんですね。私もボクシングで世界チャンピオンを目指すために退路を断ち、青森から上京しましたから、とても共感します。ただ、当時は米の価格も今ほど高くなかったでしょうし、農業を始めるには厳しい時代だったと思います。それでも踏み切れたのは、なぜでしょう?
 
佐藤 周りに、米をつくる若い人が少なかったからです。だから逆に、「今がチャンスなのでは」と感じました。もちろん簡単ではありませんでしたが、銀行から借り入れをして設備を整え、少しずつ農業の基盤をつくっていきましたね。