オーナーは熟練の冒険家
縄文杉に一番近いホテル
さまざまな世界で挑み続けるチャレンジャー

平田 私はここ鹿児島県屋久島で生まれ育ち、20歳目前で陸上自衛隊に入隊したのを機に、島を離れました。やがて22歳で京都府の神学校に入学し、翌年に奈良県の生駒聖書学院に転入学したんです。卒業後は教会の奉仕活動に参加しながら、警備会社に勤めて実務経験を積んだのち、警備会社を創業するなど経営者として奔走しました。そんな中、初めて冒険の旅に出たのは、1995年のエジプト・シナイ山への登頂でした。
八木 冒険家としてのみならず、多様なご経歴をお持ちなんですね。
平田 そして1999年4月に韓国の漢江中流、次いでタイのチャオプラヤ川をカヌーで下り、ヒマラヤ山脈に存在する谷のひとつランタン谷ではトレッキングを楽しみました。同年に帰国したのち、百名山踏破への思いを胸に長野県松本市へと移住したんです。
八木 百名山といえば、屈指の山岳エリアである日本アルプスが思い浮かびます。国内外問わず、山登りや川下りを満喫されていたんですね。
平田 そうなんですよ。2001年には南米のパラナ川での単独カヌー川下りを37日で成功させ、当時世界初の快挙を達成したんです。また2002年には、日本百名山を当時最速記録である66日で踏破しました。
八木 それはすごい!お話を聞いていると、順風満帆に自身のベストを更新されているように感じますね。

八木 えっ、仮死状態!?遭難じゃないですか。
平田 幸いにも、現地のレスキュー隊に奇跡的に救出していただきまして。なんとか生還できたんです。
八木 危険な目に遭っても、決して挑戦を諦めない。平田社長の並大抵ではない向上心が、ひしひしと伝わってきました。冒険家以外のご活動においても、幅広くチャレンジされているのでしょうね。
平田 はい。2020年に屋久島に帰郷した後、現在は、株式会社ホテル屋久島山荘と、長野県の株式会社アルプス警備保障の経営者を務めています。また作家として自身の日本百名山登頂記録をまとめた書籍を出版していますし、牧師としての活動も続けていますよ。

