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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

精密機械部品で世界を支える 全員経営で成長、やんちゃ集まれ!
扶桑工業株式会社 代表取締役社長 髙橋善孝

 
プロフィール 滋賀県出身。関西大学卒業後、1962年創業の扶桑工業(株)に就職。経験を積み課長職に昇格する。1998年、会社が倒産。後に会社更生法が適用され復活へ。現在は建設機械部品や農業・産業機械部品の製作などを手がけ、大手企業との契約を軸に事業を展開し、世界市場の部品を支えている。従業員数約385名、年商126億円まで成長を遂げた。【ホームページ
 
 
 
「やんちゃな人、集まれ!」。独特なスローガンで人材を集める扶桑工業株式会社は、風通しの良い社風を武器に時代の変化を恐れない経営で、世界中のパワーショベル用油圧ポンプの約半数に搭載される、油圧レギュレーターの製作などを担っている。そんなものづくり集団を率いているのが、髙橋善孝代表取締役社長だ。「人材こそ一番の財産だ」と熱く語り、会社が倒産した苦い過去の経験を成長の糧に、未来を見据えて次世代へとバトンをつなぐ。
 
 
 

倒産を経て、年商126億円の会社へ成長

 
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インタビュアー タージン(タレント)
タージン 滋賀県長浜市に本社を構える扶桑工業さんは、長浜・新庄・近江の3工場を拠点に、建設機械部品や、農業・産業機械部品の製作などを手がけているとうかがっています。社内には過去の機器も展示されていて、長い歴史を感じますね。創業はいつですか?
 
髙橋 1962年です。私は今年2023年で63歳になりますので、ほぼ同い年です(笑)。
 
タージン なんと! 私も御社と同い年、1962年生まれの61歳ですよ! 昭和の同じ時代を共に生きてきたと思うと、何だか嬉しくなってきます(笑)。
 
髙橋 本当ですね(笑)。ただ、1998年に弊社は一度倒産しましてね。会社更生法で何とか長浜工場だけ残す形を採用し、その結果、38歳にして突然32億の借金を背負うことになりました。そんな逆境の中、2000年から、残ってくれた社員と4人の新役員で新生扶桑工業として立て直したんです。新株式として、当時210人の社員のうちの105人が出資してくれました。名実ともに自分たちの会社の誕生です。それから14年かけて、やっとのことで32億円あった借金を完済でき、年商126億円を稼げる会社にまで成長し、さらに貯えもできるようになりました。
 
タージン ご苦労なさったんですね。山あり谷ありの苦難を乗り越えて年商100億円以上とはお見事じゃないですか! その転換期に社名の変更はなかったのですか?
 
髙橋 ええ、創業当時と同じ名前です。お付き合いのあった企業様との継続性も視野に入れ、社名はそのまま残しました。