
インタビュアー 水野裕子(タレント)
竹下(初) 私は小学生の頃から、将来は車の修理工場をやると決めていました。その夢を叶えるために、ホンダのディーラーや自動車整備会社に勤め経験を積んだ後、1979年に妻と二人で小さな修理工場を立ち上げたんです。当初は車の修理を中心に行いながらも、時代の流れに合わせてバイクの販売・修理に軸足を移すようになりました。それから何度も経営危機に陥ったものの、「洗車は俺が」「登録は僕がやるよ」と、喜んで仕事を手伝ってくれる親切なお客様や従業員のおかげで、頼りないはりぼての店を少しずつ軌道に乗せることができたんです。
水野 お客さんが率先して協力してくださるのは、初義さんが人との関わりを大切にされてきたからだと思います。優幾代表も、もちろんバイクが好きな少年だったのでしょうね。
竹下(優) はい、子どもの頃から機械や乗り物が大好きでした。店によく顔を出すようになったのは、バイクに乗り始めた16歳の時からです。ホンダ学園、ホンダ二輪ディーラーで6年ほど経験を重ねた後に、父の思いを継ぐつもりで一緒に働きました。そして、2017年に長男の私へと代替わりしたんです。
水野 お父様と二人三脚で歩んで来られたんですね。それでは、技研オートファクトリーさんの特長について教えていただけますか。

竹下代表の父で創業者の初義氏
竹下(優) それを可能にしているのは、高い技術力とクオリティ、そしてホンダ専業による自信だと思っています。カスタムを行うにしても美しく見せるため、配線1本通すのにも時間をかける妥協のない姿勢が、お客様の口コミで広がり、ありがたいことに「技研オートファクトリーなら間違いない」とご紹介で来てくださることも増えたんです。