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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

悲しみの中にも笑顔を
エンゼルケア専門納棺師

 

生前の姿でお別れし、気持ちに区切りを

 
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八重樫 私は岩手県の田舎で育ち、人の死に初めて直面したのは小学5年生のときでした。曾祖母が亡くなり、自宅の仏壇の前で着物を着替えさせたり化粧をしたりして、生前好きだったものと一緒に棺桶に入れてお別れをしたと記憶しています。でも、東京に出てきてある方の葬儀に参列したとき、地域差を感じましたね。
 
宮崎 確かに地域によって違いはありますね。昔は日常の中に“死”というものがあって、もともと死後のケアはその家に嫁いだお嫁さんの役目だったんです。当時は作法や必要なものが主婦向けの雑誌にも載っていたそうですよ。居住地ごとの集落内で葬儀の準備を手伝い、お寺と協力して葬儀を行うのが一般的でしたね。
 
八重樫 そうそう、曾祖母のときも近所の人が手伝いに来てくれていました。
 
宮崎 今はその役割すべてを葬儀社が担っているという感じです。納棺師という職業が生まれたのは1954年の青函連絡船の沈没事故だったと言われています。発展してきたのは、日航機墜落事故からと言われていますのでここ3、40年ほどの間でしょうか。
 
八重樫 職業としてはまだ新しいんですね。だから存在自体を知らない人もいるのか。そんな中、宮崎代表がなぜ納棺師になられたのか気になります。
 
宮崎 実は私が納棺師になったのは親友の死がきっかけなんです。葬儀社で働いていた親友が車を運転中に事故に遭ってしまって・・・。単独事故だったものの事故現場はかなり凄惨だったようで、私が会ったのは棺桶の中で顔と足を包帯でぐるぐる巻きにされている彼でした。そのときは「顔と足を怪我したんだな」と思ったんです。でも、火葬後の骨には顔と足がなかったんですよ。
 
八重樫 つまり、包帯で顔と足があるように見せていたということですね。
 
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宮崎 おっしゃる通りです。遺族や参列者にショックを与えないよう、故人の生前の姿が特殊なノウハウで再現されていました。そして、その処置をしてくれたのが納棺師だと後で知り、感銘を受けたんです。
 
八重樫 宮崎代表は、納棺師という仕事の素晴らしさを実体験した当事者だったのですね。
 
宮崎 はい、おかげで私は親友としっかりとお別れができて、気持ちに区切りがつけられたと思っています。実際に私は今でも彼のことを思い出すときは、楽しかった笑顔ばかりなんですよ。
 
八重樫 宮崎代表は何かに導かれて納棺師になられたのかもしれませんね。