バブルが弾けたことを知らず26歳で独立

インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
倉角 私は夜間大学に通いながら就職しまして。昼間はカーテンのフックを製造する工場で働きました。そして、日曜日は叔父が経営する塗装会社の手伝いをしていたんですよ。その中で、何時間も同じ作業を繰り返す工場より、屋外の現場で汗を流す仕事のほうが楽しいし自分に向いていると思うようになったんです。汚れた住宅をきれいにして、お客様に笑顔になっていただける塗装を極めたいと考え始めました。
畑山 ただ、せっかく就職した工場の仕事がありますよね。
倉角 そうなんです。でも、工場の社長はとてもいい方でした。わずか1年で会社を辞め塗装職人に転身したいと切り出した私に、「たまには遊びに来いよ」と声をかけ快く送り出してくださったんです。そうして私は20歳で叔父の塗装会社に転職しました。中卒で現場に出る職人も多いこの業界ではかなり遅いデビューでしたね。
畑山 当時から、倉角代表は将来の独立を見据えていらっしゃったのでしょうか。
倉角 倉角の家系は、叔父だけでなく父や兄など自営業者が多かったんですよ。その影響もあり、私も「いずれは独立しよう」と考えていました。もともと「30歳までに」と思っていたものの、予定より早く1994年、26歳で独立しまして。ただ、その頃の私は世の中のことを知りませんでした。そのせいで大変な苦労もしましたね。