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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都出身。18歳から車に乗るようになり、カスタムして乗るほど車好きが高じたことから、22歳で東京都世田谷区池尻のディーラーに営業職で就職。仕事への意識を変えたことをきっかけに、トップの営業成績を収めるように。その会社に17年勤めた後、池尻に(株)リレーションを設立した。【ホームページ
 
 
 
東京都世田谷区池尻でカーディーラーを運営する株式会社リレーション。代表取締役の和泉哲也氏は大の車好きで、池尻のカーディーラーでトップセールスマンとして、17年間走り続けてきた。2016年の起業の地にも池尻を選び、地域の顧客とのつながりをより一層大切にしているという。偶然にも池尻の同じ通りでバーを経営し、さらに同じ1977年に生まれた女優の矢部みほ氏が話を聞いた。
 
 
 

車好きが高じて池尻のカーディーラーに就職

 
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インタビュアー 矢部みほ(タレント)
矢部 東京・池尻に会社を構えるリレーションさんにお邪魔しています。こちらはあらゆるメーカーの新車や中古車を取り扱い、輸出入から販売、修理までしてくださる会社さんだそうですね。実は、リレーションさんと私が経営するバー「YABEKE(ヤベケ)」は同じ通り沿いにあって、250mほどしか離れていないのでご近所さんなんですよ。
 
和泉 そうですよね。実は以前、YABEKEにはお邪魔したことがあるんです。
 
矢部 そうでしたか! ありがとうございます(笑)。では今日はご近所のよしみとして、よろしくお願いします。リレーションさんは、昨年2016年11月に設立されたばかりだとお聞きしました。和泉社長は、やはり子どもの頃から車がお好きだったのでしょうか。
 
和泉 はい。まぁ最初は「車に乗れば女の子にモテる」という発想で好きになったんですけれども(笑)。18歳になるとすぐに免許を取って、先輩が乗り潰した車を3万円で譲ってもらいました。そうやって安く手に入れた車を、何台も何台も乗り換えていましたね。
 
矢部 私と和泉社長は同じ1977年生まれという共通点もあります。私たちの世代って、若い頃から車好きな人が多いのかもしれませんね。和泉社長は、どんな種類の車が好みでした?
 
和泉 周りにはアメ車に乗る仲間が多かったのですが、私は国産車が好きでしたね。カスタムした車を毎日のように乗り回していました。そうした趣味が高じて、22歳のときに就職したのが池尻にあるディーラーだったんですよ。
 
矢部 そこで池尻とも縁ができたんだ。趣味と仕事が同じだと、毎日が楽しかったでしょう。
 
和泉 いやぁ、それが就いたのが営業職で、想像以上につらかったですね。当時はディーラーの仕事を甘く考え過ぎていたのかもしれません。