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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都出身。高校卒業後、単身ロサンゼルスに渡る。アメリカに15年、その後フランス、オーストラリアに滞在し数多くの事業を展開した。42歳の時に自分が日本のことを何も知らないのだと感じ、帰国。日本中の神社を廻り、その知りたかったことを日本の各地で出会う縁から学んだ。2016年に(株)ブラック・ユニバース・エンティティーを設立。災害時に役立つ衣料や装備品のセレクトショップを運営している。【フェイスブック
 
 
 
2016年、奈良県大和郡山市にオープンした「LAST GEAR」。普段使いから災害時まで、シームレスに着用できる衣料や装備品をそろえたセレクトショップだ。運営する株式会社ブラック・ユニバース・エンティティー代表の櫻田健氏は、「遊んでばかりいた自分を変えたい」と高校卒業後に単身海外へ。十数種類の事業を成功させ帰国したという。「自分の直感だけを信じてきた」と語る櫻田氏の人生哲学をじっくりとうかがった。
 
 
 

「そろそろ大人になろう」と単身アメリカへ

 
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インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
畑山 奈良県大和郡山市に、衣類や装備品など“災害に強いアイテム”のセレクトショップ「LAST GEAR(ラストギア)」をオープンした、ブラック・ユニバース・エンティティーさん。お店の詳細については後ほどお聞きするとして、まずは、櫻田社長の歩みを教えていただけますか。
 
櫻田 私は子どもの頃から勉強が嫌いで、遊んでばかりいました。しかし、高校生のとき両親から「大学には行け。大手を振って遊べる時間は大学時代にしかないぞ」と言われたんです。それまでずっと遊んできた私には、その言葉がピンとこなかった(笑)。逆に「そろそろ大人にならなければ」と思ったんです。高校を卒業した後は、自分を変えるために単身海外へ渡りましてね。アメリカに15年在住し、フランスやスイス、オーストラリアでも暮らしながら、十数種類の事業を展開してきました。帰国したのは2008年、44歳のときです。
 
畑山 見知らぬ土地で暮らしていくだけでも大変だと思います。それなのに、多くの事業を成功させているなんて、才覚があったのでしょうね。日本に戻ってくるきっかけとなった出来事は、何かあったのでしょうか。
 
櫻田 オーストラリアで42歳の厄年を迎えた頃から、健康に気を使うようになり、毎朝、海で泳ぎ太陽を拝んでいたんです。その姿を見た現地の人たちに「お前は、何を信仰しているんだ」と聞かれ、「特に何もない」と答えました。すると「信仰がないということは、人間として背骨がないのと同じことだ」と言われたんです。そこで初めて「自分の国なのに、あまりにも日本のことを知らない」と気付きました。改めて神道を勉強して、日本中の神社を巡ろうと帰国を決めたんです。