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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

娘への感謝から生まれた
訪問看護ステーション

 

周囲の方々のサポートで運営を続けられる

 
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タージン 知陽さんの病状はいかがでしたか。
 
稲田 生まれてすぐ人工呼吸器を装着、生後4ヶ月で気管切開をしました。医師からは「体重が10kgになったら、また閉じることができるかもしれない」と言われましたが、知陽は食道、胃逆流症という病気のためすぐに吐いていました。だから、なかなか太ることができなかったんですよ。何度も大きな手術を受け、「覚悟してください・・・」と言われたことも何度かあります。今だから言えますけど、知陽の生命力の強さを感じますね・・・。
 
タージン 体重が100g増えた、減ったと一喜一憂する毎日に、稲田社長の心も乱れたことでしょうね・・・。知陽さんは、そのままずっと病院に?
 
稲田 いいえ。どうしても自宅で面倒を見たくて、1歳のとき敦賀に連れ帰りました。体調を崩すたびに車に飛び乗り、高槻の病院へ通う日々が始まったんです。1年後、一家で高槻市に転居し、大阪での生活が始まりました。ただ、世の中にはさまざまな福祉制度があるのに、いざ利用しようと思ったときに、わかりやすく、納得のできる説明をしてくれる人はなかなかいませんでした。そこで、「だったら自分で勉強しよう」「福祉のスペシャリストになろう」と思い、32歳のときに通信大学で2年間勉強し、社会福祉士の資格を取得しました。
 
タージン 当時の稲田さんのように、どういった福祉制度があり、どうしたら利用できるのか知らずに、自分たちだけで抱えてしまっている方は今でも多いと思います。先ほど知陽さんにお会いし、笑顔がとても印象的だと感じました。周囲の方からたくさんの愛情をもらってきたのでしょう。
 
稲田 本当にそう思います。知陽は公立の小学校に入学しまして。当時高槻市では、重症心身障害児で医療的ケアが必要な子の入学は前例がなかったにも関わらず、周囲の方は細かな配慮をしてくださいました。同じクラスの子どもたちも知陽のことをいつも気にかけてくれました。運動会や行事のときは、どんな形で参加できるのか、先生と一緒に考えてくれましたよ。宿泊学習や修学旅行にも行きました。また、当時の校長先生の働きかけで、医療的ケアのための看護師さんが来てくださるようになったんです。今、私や知陽が笑顔でいられるのも周囲の方々が支えてくださったおかげです。そして長女の明陽(あかり)も、知陽の姉として、さまざまな葛藤があったことでしょう。そのうえで、「ちいちゃんのことは私が守るから安心してね」と言ってくれたときは本当に嬉しかったですね。2人の娘の太陽のような笑顔を見ているときが、「最高に幸せ」だと思える瞬間です。
 
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タージン 知陽さんがすこやかに成長できたのは、明陽さんや周囲の方々の理解と協力のおかげでもあるのですね! 受けてきた恩をお返ししたいという思いも、ソレイユさんを立ち上げるきっかけになったのですね。
 
稲田 そうですね。障害児を育てる母として経験してきたことや訪問看護を通じて、障害者ご本人とご家族が同じ方向を見ないと看護がうまくいかない現実など、多くのことを経験させてもらいました。今度は少しでもそういったご家族やお母さん方を手助けできればと思い、始めた事業所なんです。
 
 
 
 

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