B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 神奈川県横浜市出身。父親は教材販売会社の営業を経てリンドウアソシエイツを設立、母親は元幼稚園教諭という環境に育ち、おのずと幼児教育関係の仕事に就きたいとの思いを持つ。念願叶って学校卒業後は幼稚園教諭となり、充実した毎日を過ごしていたが、父親が病に倒れたことから会社を後継することに。スタッフに支えられながら会社を率い、現在は父親の代から縁のある幼稚園・保育園をはじめ、新規の園とも良好な関係を築き、時代のニーズを捉えながら保育現場へ足を運び、仕事のやりがいを感じる日々をおくる。【ホームページ】  
 
 
 
両親にめいっぱい愛されたことや、先生や友達と過ごした記憶──。幼少期の思い出は、どんなにかけがえのないものでも成長とともに薄れていく。そんな幼い日の思い出を最良な形で留めておくため、CI(オリジナルのロゴマークやキャラクター)を通してトータルデザインをしているのが、株式会社リンドウアソシエイツだ。同社は幼稚園・保育園で用いられる記念品やパンフレット、ホームページ、送迎バス、園舎などを通じ、園のブランディングをサポートする。子どもたちの心の成長を支える同社が抱くポリシーについて、中島亜紗美代表にうかがった。
 
 
 

子どもにこそ良いものに触れさせたい

 
glay-s1top.jpg
インタビュアー 水野裕子(タレント)
水野 幼稚園や保育園のトータルデザインを手がけられている、リンドウアソシエイツさん。中島代表のお父様が創業された会社だとうかがっています。
 
中島 はい、1990年に父が創業した会社で、それまで父は、幼稚園や保育園にお道具箱やクレヨンなどの教材を販売する会社に勤めていました。その業務を通じて、「子どもにこそ良いものに触れさせたい」という思いと、「素晴らしい園長先生方の思いや教育方針を、もっと上手に宣伝・サポートしていきたい」という思いを抱いたことから、当社を興したと聞いています。
 
水野 中島社長はお若いですから、1990年というとまだ幼い頃ですよね。養うべき家族がいる中での起業は、きっとお父様にとって、相当な覚悟が必要だったと思います。
 
中島 そうですね。母も起業に反対はせず、父の信念についていく道を選んだと聞いています。父はとても熱い人で、特に幼児期に育つ環境への思いがとても強かったそうです。
 
水野 実際にお父様はどんな方だったのですか?
 
中島 1990年頃と言えば、今ほど少子化が深刻ではなく、また、現代のように幼稚園を選ぶ時代でもなかったですよね。だからたいていの子どもは、家から最も近い幼稚園や保育園に通っていたと思います。そうした状況の中では、園同士で質を競う必要はないわけです。すると、気付かないうちにサービスも低下してしまう。そんな中で父は、多くの園に出入りする際に、掃除の行き届いていない園や、教育者として好ましくない装いの先生を見かけると、助言をしていたそうなんです。