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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

防水工事業のかたわらで
若者の更生を本気で支援

 

防水補修の将来性に注目しつつあがいた日々

 
矢部 防水関連の世界で生きていこうというのは、何が決め手になったのですか。
 
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佐々木 当時、ある高層ビルの屋上部分の防水工事を手がけたことがあって、完成した時に屋上から周囲のビル群を見渡して、手入れが行き届いていないビルがいくらでもあるのに気付いたんですよ。一般の方には普通の高層ビルにしか見えませんけどね(笑)。ビルというのは、10年に一度は大規模な改修を行う必要があるので、あらためて市場の広さを思ったんです。防水を生業にしていれば一生食いっぱぐれない。とはいえ、会社では今度は上司と合わなくて衝突ばかりだったから、勤め先には相変わらず恵まれていなかったんですが(笑)。
 
矢部 そうなんですか? 誰とでも仲良くやっていけそうなタイプに見えるのに(笑)。
 
佐々木 その会社は材木店や建材屋の2代目が修業のために就職するような会社で、私たちのように地方から普通に勤めに来た人間には冷たくて、厳しい環境でした。今考えれば、そんな状況で鍛えられて良かったのでしょうけれど、当時はわからないですからね。結局、すぐに辞めてしまい、「俺は何をやっても長続きしない人間だ」 と悲観していたんです。
 
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矢部 「すぐに」 というのは、そちらにはどのくらい勤めていらっしゃったのですか。
 
佐々木 4、5年ほど勤めていましたかね。
 
矢部 今どきの感覚では、4、5年って、十分長いように思いますよ。そんなに悲観しなくてもよかったのでは?
 
佐々木 焦りがあったのですよ。早く世間や実家に認めてもらいたくって・・・。長男でしたからね、下にも負けたくはなかったし。当時、妹が芸能人を目指していまして、九州地区のコンテストで優勝して全国大会で東京に出てきて、頑張っていたんです。「妹が目標や夢に向かって走っているのに、兄貴は夢も目的もなく、ただ生きているだけか」 と、悶々としていたのですよね。
 
矢部 う~ん。なるほど・・・。でも、勝手な言い方で恐縮ですが、22歳までヤンチャをされていたのに、数年ですっかり真面目になったんですね。
 
佐々木 親から離れて生きるようになって、社会の厳しさや冷たさを実感しましたからね。父親も間もなく定年退職の年齢になるし、迷惑ばかりかけてきたぶん、老いていく両親に親孝行をしないといけないと、強く思うようになったんです。でも、気ばかり焦って言動が伴わない。どうすればいいかもわからない。「こりゃまずい」 と、毎日そんなことばかり考えていました。