インタビュアー タージン(タレント)
宮脇 私はもともと電子部品基板メーカーの技術部門従事者で、シングルマザーとして二人の子どもの育児に仕事にと奮闘してきました。ただ、50歳を迎え、定年後の生活を考えるようになったんです。子どもが二人いると学費もかかりますから、「今月の生活費はどうしよう」と右往左往していました。そんな時に助けてくださったのが周囲の方々なんです。そのご恩に報いるため、今度は私が誰かを幸せにする番だと決意して、会社を辞めたのが55歳の時でした。退職金を注ぎ込み、guest house familieを開業したんです。ところが、直後に始まったコロナ禍で経営は火の車でして・・・。そこで運送業に参入しました。
タージン とことんアグレッシブな姿に感動します。宮脇代表自らハンドルを握ったのでしょうか。
宮脇 はい。私自身が配送に出て感じたのは、“働きたくても働けない人”が本当に多いということでした。子育て中の方や介護をされている方など、少しだけ働ける場所を求めている人がたくさんいるんです。だからこそ、週2日から働ける会社にしました。また、guest house familieもコロナ後はとても好評でしてね。リビング、キッチン、2つのベッドルーム、BBQができるテラスもある1棟に、8名までの貸し切りでゆったりと宿泊できますよ。
タージン それにしても、どうしてそこまで宮脇代表は頑張ることができるのでしょう。
宮脇 私の人生は今が二度目なんですよ。というのも、guest house familieを開業する前から体調が悪く、病院で大腸がんと宣告されました。幸いなことに手術や抗がん剤治療で克服できたんです。これは49歳の時にがんで亡くなった私の母や神様が、「あなたはもう少し生きなさい」と応援してくれたからだと思っています。残りの人生は誰かのために尽くそうと決めたのは、数々の苦難を乗り越えてきたからです。
タージン それにしても、どうしてそこまで宮脇代表は頑張ることができるのでしょう。
宮脇 私の人生は今が二度目なんですよ。というのも、guest house familieを開業する前から体調が悪く、病院で大腸がんと宣告されました。幸いなことに手術や抗がん剤治療で克服できたんです。これは49歳の時にがんで亡くなった私の母や神様が、「あなたはもう少し生きなさい」と応援してくれたからだと思っています。残りの人生は誰かのために尽くそうと決めたのは、数々の苦難を乗り越えてきたからです。



