
インタビュアー 亀山つとむ(野球解説者)
宮﨑 大学時代、入院していた祖母のつきよが院内感染で亡くなってしまったんですよ。大好きな祖母を救えなかった悔しさと腹立たしさから、なぜこのようなことが起きたのか原因を知るため、私は大学を中退し看護学校へ進んだんです。そして看護師となり、病院の心臓外科と脳外科に勤務しました。
亀山 お祖母様に寄せる愛の強さが伝わります。その後の歩みもお聞かせください。
宮﨑 その後、祖母の弟で大工だった大叔父のたつみが倒れ、私は祖母に何もしてあげられなかった後悔もあり、仕事を辞めて看病に専念したんです。やがて看護師だった叔母ががんで闘病するようになった際には、「家のモクレンが見たい」という願いを叶えるため奔走し、一時退院を実現しました。この叔母の最期の言葉が、私を起業に向かわせたんです。
亀山 どんな言葉だったのか、気になりますね。

亀山 社名や屋号、建物にもたくさんの思いが詰まっているんですね。それにしても事業内容が豊富で驚きました。
宮﨑 弊社の事業は現在4つ。訪問看護ステーション「ホームナーシング月夜」、福祉用具のレンタル・販売、住宅改修の「クリエイティブサポートTsukiyo」、トレーニングルームがあり看護師に健康相談もできる「U3」、そして定期巡回と随時対応で生存確認やお薬の管理、おしめの交換など看護・介護をご提供する「ケアリング月夜」です。