「形に残る仕事がしたい」と建設会社を創業

インタビュアー 矢部美穂(タレント)
竹本 私は和歌山県南部の古座川町出身なんですよ。もともとダンプで砂利を運搬する仕事に就いていたものの、ただ砂を運ぶだけではつまらない、建設という形に残る仕事がしたいと考えるようになりまして。1977年にたった2人で弊社を創業したんです。もちろん最初は孫請け、ひ孫請けという弱い立場からのスタートでした。
矢部 持田専務が紀和建設工業さんに勤めるようになった経緯も気になります。
持田 私は竹本の甥で15歳の頃から弊社でアルバイトをしていました。そして高校を卒業し正式に入社しまして。早く会社に貢献するため、昼間は弊社で働きながら夜は専門学校に通い、さまざまな建築関連の資格を取りました。
矢部 持田専務は、とても仕事熱心な方なんですね!
持田 いやあ、今の私があるのはどんな挑戦も前向きに認め、のびのびと仕事をさせてくれた竹本のおかげですよ。
竹本 持田は勉強熱心で頑張り屋。何より仕事が大好きなところが良いんですよ。
矢部 今のお言葉を聞いて、持田専務のお気持ちは?
持田 20年近く頑張ってきた甲斐がありましたね!