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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

浪花のエンターテイナー 
感動を提供する不動産店

 

バンド活動に情熱をかけた

 
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ロゴに込めた思いはぜひ店頭で!
山本 いっぽうでその親心が自身のパワーにもなったのでは?
 
岩田 そうなんです。故郷に錦を飾りたい一心で、東京ではタレント活動にも精を出しました。全国放送のひな壇に上がれたときは嬉しかったな。でも、放送を見た母は「あんなに痩せて」と涙し、父もひどく落ち込んでしまいました。
 
山本 岩田社長とご両親、どちらの気持ちもわかるなぁ。自分が選んだ道を進んでいると楽しさで苦労を感じないものの、傍目には無茶しているように映るんですよ。
 
岩田 さすがに両親の涙は胸に迫りましたね。また、その痩せた姿を見たからか、父が体調を崩しました。それで勝負を懸け「大賞を取ったら東京で骨を埋め実家には帰らない。取れなければこの道を諦める」と宣言し、あるオーディションに臨みました。結果は審査員特別賞・・・。賞をいただくことはできたものの、約束の大賞には届かなかったこと、また両親が心配だったこともあり、自分の夢を一旦胸にしまい大阪に戻ることに。父の体調を心配しての勝負でしたので、急いで帰りました。すると、「おかえり」と!! 「え!?」と驚きましたね。何もなかったかのように、父が元気な姿で出迎えてくれたんです(笑)。「やられた!!」と思いましたが、私が帰ってくると知って急に元気になったそうです。
 
山本 おもしろいお父様だな(笑)。そこから親子で不動産業をするようになったのですか?
 
岩田 そうですね。ただ、父は「仕事は見て覚えろ」という方針でして。父の仕事のスタイルは、長い経験を経て確立されたものです。不動産に関して全くの素人であった私には、まず基本的な知識や経験が必要だと感じました。そこで1年間勉強し、宅地建物取引士の資格を取得。また、不動産業界の中でも厳しい会社と言われているある大手の不動産会社に、自ら修業に出ることにしたのです。そうしたら父に「就職祝いに酒を飲もう」と実家に呼ばれ、一通の封筒を渡されたんです。開けてみると1000万円の借用書でした。
 
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山本 1000万円の借用書!? 何ですかそれは?
 
岩田 実は大阪に戻った際、父が「家はあるから心配するな」と言って家を購入してくれていたんです。その頭金が1000万円。もちろん残りはローンで払っていますよ。しかし、そのときは大阪に帰ってきてほしい気持ちがあったのか、あげると言っていたお金を急に「返せ」ということでした。「今度こそやられた」という気持ちから感情的になり、売り言葉に買い言葉で、「3年で店長になって返したる」と啖呵を切ってその日は帰りました。父としては、おそらく私が尻尾を巻いてしまわないように発破をかけるつもりの就職祝いでもあったのでしょう。その影響もあり早朝から夜中まで必死で働き、2年半で店長に昇進、1000万円を貯めました。しかし、全額返すと私が送っていた毎月の仕送りを断られてしまいます。今まで好き勝手やらしてもらった恩もありましたので、美談(笑)としてわざと返すのは800万円に留め、仕送りし続けることにしました。その後、返済金以上を渡すことができました。