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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
 
現役時代はゴールデングラブ賞の受賞や二度のオリンピック出場など、さまざまな実績を残した宮本さん。大学卒業後はプリンスホテルに入社し、社会人野球も経験している。これまでのご経験をあらためて振り返っていただいた。
 

社会人野球を経てプロの世界に

 
高校生の頃までは、プロ野球選手になることは“夢”でしかありませんでした。もちろんプロになりたいと思ってはいましたが、実力は足りていませんでしたからね。それが、大学2年生、3年生になった頃にドラフト候補に名前が出始めたことで、「頑張ったらプロに行けるんだ」と現実的に考えられるようになりました。
 
大学卒業後の進路を考えていた時に、尊敬する指導者の方から「今のままプロに行っても活躍できるかわからないから、社会人野球を2年間経験して、評価を上げてからプロに入りなさい」と言われまして。僕はどうしてもプロに行きたかったので、「その2年で評価が下がったり、怪我をしたりしたらプロに行けなくなってしまうじゃないですか」と答えました。すると、「お前はプロに入りたいのか? プロで活躍したいのか?」と聞かれたんです。
 
もちろん、「プロで活躍したいです」と答えました。すると、「2年間で評価が下がったり、大きな怪我をしたりするやつが、今プロに入って通用するのか?」と言われたんです。「確かにその通りだな」と納得しました。僕は、結構素直な性格をしているんですよ(笑)。そして決断も早いタイプなので、その場で、社会人野球に進もうと決意しました。
 
当時、社会人野球は2年が勝負というのが常識でした。3年、4年が経つとドラフトで名前が出ることはありません。僕が入社したプリンスホテルは、毎年社会人野球からプロ野球に入る選手を出していたので、プロを見据えて選びました。オフシーズンには、ホテル業務も行っていましたよ。
 
業務としては、結婚式などのパーティの補佐を行っていました。ビールを運んだり、お客様のグラスに注いだり。あとは、レストランの裏でナプキンを畳むこともありましたね。普段から業務に携わっていたわけではないので、重要な仕事に関わることはありませんでしたが、社会人として働いたことは大きな経験だったと思っています。
 
僕の同期には、高校を卒業してすぐ社会人野球に入った方がいました。彼は、1年目が終わった時に指導者の方から「もう野球は辞めてプリンスホテルの仕事に専念しなさい」と言われたんです。要するに、野球はクビになったんですよ。それを見た時に、もし自分が同じ状況になったら、「ありがとうございました、精一杯やれました」と言えないといけないと思いました。そう言えるくらい、日々頑張らないといけないとあらためて思ったんです。
 
学生時代は、学費などを払って野球をやっていますよね。でも、社会人野球やプロ野球は、お金をいただきながら野球をやらせてもらいます。辞めるタイミングは、自分で決められないことも多いんですよ。いつ終わるかわからない恐怖、いつか大好きな野球を辞めなければいけないという怖さを、プロに入る前から実感できたのは良かったですね。プロは社会人野球よりも厳しい世界ですから、「本当に1日たりとも無駄にしてはいけない」と思いました。
 
そうして2年の経験を経て、ヤクルトスワローズに入団しました。目標のプロ野球選手になれて本当に嬉しかったのですが、すぐに「このままだと7~8年で引退することになってしまうな」と感じました。初めてキャンプに行った時に、周囲の選手との実力差が大きいとわかったんです。「このままではレギュラーになれない」と危機感を抱きました。
 
 
プロに入り、周囲の選手との実力差に危機感を抱いたという宮本さん。どういった部分にプロと社会人野球の差を感じたのか、またどのようにその差を埋めていったのか、詳しくうかがった。
 

強い体に心がついてくる

 
プロ野球選手たちを見てまず感じたのは、技術力の差。そして、体のつくり方です。どの選手も体が大きくて、しなやかなんですよ。僕はもともと食が細かったのですが、無理やり食べるように変えていきました。プロ野球はシーズン中、毎日試合がありますから、何よりも体力が大切です。東京でナイターの試合が終わった次の日に、朝8時の新幹線で広島に移動してデイゲームの試合がある、というのが日常なんですよ。
 
しかも、レギュラーの選手たちはナイターの試合が終わった後にみんなでご飯に行くこともあるんです。そして次の日、いつも通りのパフォーマンスで試合に臨んでいます。それを見て、「ああ、自分とは体力が全然違うんだ」と感じましたね。どれだけ技術を持っていても、体力がないとそれを発揮できません。
 
それでも、一緒に練習していくうちにだんだんと慣れていくんです。体力がついて、気付けば自分も普通にできるようになっていました。当時は練習量もとても多かったですからね。あとは、毎日試合があるからこそ、気持ちの切り替えも大切でした。負けたことやミスをしたことを、次の日に引きずるわけにはいかないんです。
 
僕は24時で気持ちを区切ると決めていました。日付が変わるまでは、ウジウジ考えたり、反省したりします。でも、24時になったら次の日のことを考えるんです。自分のミスのせいで試合に負けたとしても、レギュラーは次の日も試合に出ます。だから、前の日のことを引きずって滅入っていては、プロの世界でやっていけません。僕は、体力があって技術もつけられれば、メンタルの強さも自然とついてくると考えています。強く健康な体に、心がついてくるんです。
 
プロの世界で長年レギュラーでいられたのは、何事もコツコツ積み上げていたからだと思っています。毎日、できることをコツコツやっていく。階段を一段ずつ上がっていく感覚です。数段飛ばしで上がろうとすると、転んだ時に落ちる段数も多いんですよ。だから近道を選ばずに、飽きずに毎日練習を積み上げられる人が、成功する切符を手にするのではないでしょうか。
 
その結果、アテネオリンピックの際には日本代表のキャプテンに選んでいただけました。ただ、実際にそれを知らされたときは、喜びよりもプレッシャーのほうが大きく感じましたね。当時は今と違って、オリンピックの野球競技はプロ野球選手ではなく、社会人野球選手が出ることが多かったんです。僕は社会人野球も経験しているので、その選手たちがオリンピックを目指していることも知っています。だから、ファンの方々だけでなく、社会人野球の選手たちのためにも、恥ずかしい試合はできないというプレッシャーがありました。
 
ファンの方々は、日本の野球は当然勝てると思っておられる方が多いですしね。金メダルが求められているんです。さらに、監督は“ミスタープロ野球”の長嶋茂雄さんです。長嶋さんの顔に泥を塗るわけにはいかないという思いは、選手全員が持っていたでしょう。
 
キャプテンとしては、選手たちに、社会人野球選手たちがオリンピックに持っている思いを伝えました。そういう人たちが目指している場で自分たちが戦うのだから、責任を持って行こうと。また、日本代表として、子どもたちの見本となるような、ファンの方々が声援を送ってくれるような行動を、試合の外でも心がけるようにしていました。