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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1952年、奈良県生まれ。県立奈良高校在学中から映画制作を始め、1975年、高校時代の仲間とピンク映画『行く行くマイトガイ・性春の悶々』を製作、監督デ ビュー。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降『みゆき』(83年)『晴れ、ときどき殺人』(84年)『二代目はクリスチャ ン』(85年) 『犬死にせしもの』(86年)『宇宙の法則』(90年)『突然炎のごとく』(94年)『岸和田少年愚連隊』(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 『のど自慢』(98年) 『ビッグ・ショー!ハワイに唄えば』(99年) 『ゲロッパ!』(03年) 『パッチギ!』(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得。『パッチ ギ!LOVE&PEACE』(07年) 『TO THE FUTURE』(08年) 『ヒーローショー』(10年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
 
 
 
コメンテーターとしてTVに登場していた井筒和幸監督に抱いていたイメージといえば、正直言って“怖いおっちゃん”であった。しかし、実際にお会いして気付いた。辛辣な言葉で社会を切り取る監督の姿は、確かに迫力があって怖いのだけれども、その怖さとは、内に秘めた“熱い思い”が溢れだして形になっているのじゃないかなと。実に自分に正直な人なのだと。推測するに、監督が青春を過ごした60~70年代には、こうして真剣に熱い議論を交わすことなど当たり前のことだったのだろう。一体いつごろから、この日本を包んでいた空気が変わってしまったのか。なんとも痛快な“井筒節”に乗せて、現代社会の問題点と課題について語っていただいた。
 
 
 

市場原理主義が蔓延している

 
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 「社会派エンターテインメント」といわれますが、この言葉は物事を良くわかっていないマスコミの誰かが勝手に作り出した、意味をなさない言葉です。映画というものは、人間を描いている以上、すべてが社会派なのだし、作品を見て笑おうと泣こうと、人間が食い入るようにして画面に見入っている以上、それは全部、エンターテインメントなんです。たとえば、僕はフランシス・コッポラの『ゴッドファーザー』という世界中の映画ファンなら誰もが知っている映画が事さらに愛おしくて、何度見たって様々なシーンが愉快で笑ったりするけど、あの作品を笑える映画と捉える人は、もちろん、それほど多くない。あれは、シシリー島からアメリカに移民した人たちが置かれていた境遇や時代背景、文化を少しでも理解していれば楽しめる至芸品だし、観る人自身の民度、温度によって受け止め方が違うし、そもそも鑑賞する人によって笑うところや涙するシーンなんて全く違うわけで、「笑わせたり泣かせたりするだけがエンターテインメントだ」という捉え方こそ浅はかですよ。エンターテインメントって「隙間を埋める」ってことぐらいなんだから。
 だから、一般的に言われる「エンターテインメント性が高い作品」という表現も、僕はよく理解できない。決まって、気取っている表現者が、高みから、ちょっと自作もナメてかかって、 “大衆が理解できる”ものを提供してやったんだといわんばかりに使ってる。でも、そもそも、人によって受け止め方が違うわけだし、ハッピーエンドのオマケ付きの楽しい作品がエンターテインメントで、悲しかったり考えさせられたりする作品がそうじゃない別のモノだとか、そんな区分けこそ野暮で下種、変ですね。
 映画を含めた芸術というものは、人の心の空白を埋めてくれるモノ、それがエンターテインメントの原義です。映画はこれまでも、社会現象を風刺したり、推奨したり、時にはシニカルに、時には毒づいたりしながら描いてきました。残念ながら、日本の映画業界において、そんな社会的なメッセージが込められた作品が年々増々少なくなってきてます。そんな肝心なことを削ってしまって、「誰もがわかりやすく、知能もそれほど使わないで事足りる商品」が量産されている。なりふり構わず興行の利益を追求していこうという「市場原理主義」が蔓延しているからに他なりません。
 
 
 
 

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