自身の子どもが導いた独立への決断
インタビュアー 八木裕(野球解説者)
大井 私は小学校時代、野球に打ち込んでいました。高校は工業系の学校に進みましたが、その頃に障がいのある子どもと関わる機会があり、福祉の仕事に興味を持つようになったんです。そこで吉備国際大学へ進学して障がいや心理について学び、卒業後は高齢者福祉や障がい福祉の現場で経験を重ねてきました。転機になったのは、自分の子どもがダウン症で生まれたことです。その子の将来を考える中で、障がいのある方が生活する場所と働く場所の両方が必要だと考えました。そして、その環境を自分でつくろうと思い、独立を決意したんです。そこでまずは住む場所としてグループホームを立ち上げ、その後、働く場として就労継続支援B型事業所の運営を始めました。
八木 ご自身の経験やお子さんのことが、事業の出発点になっているのですね。法人名には、どのような思いが込められているんですか。
大井 はい。「No One」には二つの意味があります。一つは「一人じゃないよ」というメッセージ。もう一つは、一個ずつ、一歩ずつでいいから成長していこうという意味です。利用者様一人ひとりの変化は一朝一夕には現れないものです。だからこそ、その人のペースで階段を一段ずつ上がっていけるような支援をしたい。その思いを法人名に込めました。
