事故からの再起、堺での新たな挑戦

インタビュアー タージン(タレント)
藤田 2004年に大阪市住之江区で開業しました。お客様にめぐまれて店は順調でしたが、弁当の配達中に無免許のバイクに横から追突されて膝下を粉砕骨折し、長期入院を余儀なくされました。退院後は売り上げが半減し、厳しい状況が続いたため、堺への移転を決断したんです。
タージン 順調に歩みを進めていた矢先に、それは大変な出来事でしたね。しかしその逆境を糧に、新たな土地で挑戦を選ばれた藤田代表の前向きな姿勢には、困難を乗り越えようとする強い意志と覚悟を感じます。
藤田 移転後は事故のリスクを避けるためにテイクアウト専門で営業したいという気持ちもありましたが、立地的に配達が必要不可欠でした。今では、さまざまなお客様に支えられてこの街で根を張れたことに感謝しています。
タージン お弁当ではだし巻きはどちらかといえば脇役という印象です。そのだし巻きをなぜ看板商品に選ばれたのか? その理由が気になります。
藤田 当時、この辺りでお弁当にだし巻きを入れるお店はほとんどありませんでした。卵はとても扱いが難しく、管理に手間がかかる食材なんです。さらに出汁をたっぷり使うと巻きにくく、水分も出やすいので技術を要します。それでも「自分ならきっとおいしいだし巻きをつくれる」という強い信念を持って、看板商品として掲げることを決めました。