B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

壮絶な闘病からの復活! 講演を通じ勇気を届ける
cheeryちありぃ 代表 三桝智恵里

 
glay-s1top.jpg
インタビュアー 濱中治(野球解説者)
濱中 大阪府吹田市を拠点に、ご自身の壮絶な闘病経験から得た学びや気付きを通して、多くの人に希望や勇気を届けるために講演活動などをされているcheeryちありぃの三桝代表にお話をうかがいます。三桝代表は10歳のときにⅠ型糖尿病を発症されたそうですね。
 
三桝 はい。半年で10kg近く体重が減り、強い喉の渇きと倦怠感が続いていました。夏だったので水分の摂りすぎだと思っていたら、ある日昏睡状態になって救急搬送され、Ⅰ型糖尿病と診断されたんです。医師から「一生インスリン注射が必要」と告げられ、両親は大きな衝撃を受けたと聞きました。
 
濱中 10歳の子どもにとっても、ショックだったでしょうね。
 
三桝 厳しい食事制限もつらかったです。当時は「糖尿病=生活習慣病」という考えが強く、「怠けている人の病気」と見られることも多くて周りに打ち明けられない状況でした。周りのみんなと同じようにカフェに行ったりケーキを食べたり、長年病気を無視して過ごしていた結果、病気が悪化し、20代半ばで次々と合併症を発症してしまったんです。
 
濱中 中学生の多感な年頃なら、病気を隠したい気持ちは自然ですよ。でも、糖尿病の合併症は命に関わると聞きます。
 
glay-s1top.jpg
三桝 おっしゃる通りで、心臓や腎臓に障害が出て、視力を失う危険性もあり「なす術がない」と医師にも匙を投げられました。しかし、一人のドクターが懸命に私の命を救ってくれたのです。また、腎臓もダメになってしまい透析治療をすることになった私に母が腎臓を提供してくれました。母の愛とドクターのおかげで移植手術が成功したことが、まさに人生の大きな転機に。「人生は何度でもやり直せる。自分を大切にすることが周りへの恩返しだ」と思うようになりました。
 
濱中 命をつなぐ奇跡ですね。私自身もプロ野球選手としてこれからという時期に、度重なるケガに苦しみ、引退を考えたことがありました。そのとき、支えてくれたのがファンの方々です。「絶対に戻ってきて」「甲子園で待っています」という声が、再び私を奮い立たせてくれました。だから、三桝代表がお母様の思いを受けて生き直す決意をされた気持ちはよくわかります。