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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
稲川さんは今でこそ怪談家としてのイメージが確立されているが、そもそも怪談を仕事にし始めたのにはどのようなきっかけがあったのか。当時を振り返って話してもらった。
 
 

ラジオでの怪談がきっかけとなった

 
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当時、2部が放送される頃の時間には多くの業界人がニッポン放送に訪れていました。私はその場で怪談を披露していましてね。それを見ていたプロデューサーの方から、「もう夏になったことだし、2部を聴いている学生たちも受験勉強ばかりで大変だろうから怪談でも話してくれないか」と言われました。実際に話してみると、すごい反響でしたね。
 
2部の時間だと、いただくハガキの数はあまり多くないのが普通です。でも、怪談を話した回から多くのハガキをいただくようになりました。それに、リスナーは中高生ばかりだと思っていたのが、年配の方からもたくさんハガキをいただいたので驚きましたね。
 
あるとき、いただいたハガキに書いてある怪談を紹介しようという話になりまして。プロデューサーの方とみんなで全部のハガキと手紙をチェックしました。みんなで真剣に読んでいたところ、横でプロデューサーが「ああ、これは怖い」と言うんです。私も読ませてもらったら、本当に怖いんですよ。これはもう今日のうちに紹介しようとなって、その場で語り口を考えながらラジオで披露しました。私の怪談を聞いてくださっている方だと、知っている方も多いかもしれませんね。『赤い半纏』という怪談です。
 
赤い半纏のお話は、きれいな白い便箋に丁寧な字で書かれていました。きっとご年配の方からのお便りだろうなと思いましたね。その中で、「赤い半纏きせましょか」という言葉がまるで子守唄のように聞こえた、という話があったので、ラジオでは即興で子守唄のように歌ったんです。すると、ものすごい反響をいただきまして。マスコミにも広がりましたし、怪談を披露するためにテレビ番組にも出演するようになりました。これが、私が怪談家として活動することになったきっかけですね。

 
現在稲川さんは、タレントとしての活動を休止している。その決断には、どういった考えがあったのだろうか。
 
 

自分の好きなことで生きていく

 
私はこれまでにさまざまな仕事を経験してきましたが、現在は怪談家、工業デザイナーとしての活動、それと障害者への理解を深める講演に絞っています。タレント活動をやめたのは55歳のとき。宮本武蔵の書いた兵法書である『五輪の書』を読んだ際に「自分の好きなこと、得意なことで生きていけばいい」という意味の言葉に感銘を受けたんです。それで、怪談家の仕事に注力することに決めました。
 
怪談は素敵ですよ。ないより、あったほうが楽しいですよね。それにタレント活動を忙しく行っていたときにはほとんどもらえなかったファンレターが、怪談家としてツアーを行うようになるとたくさんいただけるようになりました(笑)。「いつも応援しています」「次の公演にも行きます」という温かい手紙を読んでいると、胸がジーンと熱くなることもあります。小学生の子から手紙をもらうこともあるんですよ。お返事は極力書くようにしています。書きすぎて指先の裂傷がひどくなり、手がボロボロになってしまったほどです。
 
昨年70歳になってからは、さらに仕事を楽しく感じるようになりましたね。70歳を過ぎると、いろんなことに対する欲がなくなってくるんですよ。私はもともと物欲が強くて、番組でロケに出た際には毎回けん玉を買って帰ったり、ひげを剃るカミソリを100本以上集めたり・・・。でも、そういった買い物もしなくなりました。そんな欲のない生活の中での楽しみが、怪談なんです。