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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
現在はサッカー解説者としてサッカーの魅力を伝えるべく邁進している松木さんだが、選手時代はどのような考えのもと練習や試合に取り組んでいたのだろうか。
 
 

日本代表になるという目標を持ち続けた

 
子どもの頃から、サッカー選手になることは目標の一つでした。クラブチームである読売クラブに入団し、トップチームに昇格し実績がついてきたことで「このままサッカー選手として生きていけるかもしれない」という実感が湧きましたね。当時はまだJリーグの発足前だったので、サッカーチームの多くは実業団でした。その中で僕はクラブチームでプレーしていたので、選手契約が切られたら仕事はありません。だからこそ、チームで勝利を重ねることが自信につながりました。
 
また、もう一つ「日本代表になる」という目標もありました。当時はとにかく「日本代表になりたい」「世界で活躍する選手よりもうまくなりたい」という気持ちをモチベーションに練習に励んでいましたね。
 
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読売クラブでプレーしていた当時、チームメイトにはラモス瑠偉さんや与那城ジョージさんがいました。サッカー界屈指の強豪国であるブラジル出身の彼らと共にプレーできたのは、僕にとってとても貴重な経験でした。技術的にも、戦術的にも大きく成長できたと思います。
 
そうして経験を積んでいると実績もついてくるようになり、目標であった日本代表にも選出してもらうことができました。当時僕は26歳。年齢を考えると、もう選ばれることはないかもしれないと思っていたので本当に嬉しかったですね。僕は他の選手に比べて体格に恵まれているわけではありません。もっとうまい選手もたくさんいました。その中でチームに尽くすために、毎日コツコツ努力を積み重ねていたんです。日本代表に選ばれて、その努力がすべて報われた気がしました。
 
実際に日本代表として試合に臨んだ際は、大きなプレッシャーもありました。でも、試合前に国歌斉唱したときは鳥肌が立つほど嬉しかったですね。自分が日本のために戦うのだと実感できましたから。ファンの皆さんやスタッフなど、サポートしてくれている人たちのためにプレーするんだという大きな喜びがありました。
 
 
松木さんは現役引退後、コーチ、監督としても活躍した。当時では珍しく、引退前からライセンスを取得するなどの準備をしていたという。
 

サッカー界の隆盛と共に歩んできた

 
もともと引退する前から、指導者の道を目指していました。今でこそ現役のうちに日本サッカー協会指導者ライセンスを取得する選手も多くいるようですが、当時は珍しかったと思いますよ。ライセンスはC級からS級まであり、僕は現役時代にC級とB級を取得しました。指導者のための勉強ではありますが、選手として知っておいたほうがいいこともたくさんありましたね。選手側の気持ちで学べたことも良かったと思います。
 
その後コーチとして活動する中で、A級・S級のライセンスも取得しました。そうして35歳のときに、ヴェルディ川崎、現在の東京ヴェルディの監督に就任したんです。こうして考えると、僕はサッカー界の隆盛と共に成長してきたのだと実感できますね。僕が監督に就任したのは、Jリーグが開幕した1993年です。日本のサッカーが進化していくときに、ちょうど良い年齢で関わることができたのは幸運だと思っています。それまでにサッカー界を築き上げてくださった、多くの先輩方には感謝の気持ちが尽きません。
 
解説の仕事と同じように、監督時代も自分らしさを表現したいと考えていました。やっぱり、一番必要なのは情熱だと思いますからね。もちろん、世界各国の監督や日本代表歴代の監督の考え方や方針も勉強しましたよ。それらを自らの栄養としながら、オリジナリティも育てていきたいと考えていたんです。情熱を持って、熱い思いで突き進むのは、今も昔も変わりません!
 
 
 
 
 

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