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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1962年、大阪府生まれ。1984年に三宅裕司主宰の劇団 「スーパー・エキセントリック・シアター」 に入団。第17回目公演 『超絶技巧殺人事件』 でデビューした後、複数の公演出演を経て、退団。1994年、岸谷五朗とともに演劇ユニット 「地球ゴージャス」 を結成。以降、舞台や映画、テレビドラマなどで幅広く活動するようになる。1996年からMCを務めた 『王様のブランチ』 (TBS系)、2000年にスタートした 『相棒』(テレビ朝日系) で演じた亀山薫役で一気に知名度が上がる。2008年と2009年には、『相棒』 および 『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』 における演技が評価され、第16回橋田賞俳優部門、第32回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。今年2012年は3月8日~4月22日の東京公演を皮切りに、地球ゴージャスプロデュース公演Vol.12 『海盗セブン』 (名古屋、新潟、福岡、大阪 公演あり) がスタートする。
 
 
 
「自分を成長させる」 とは、どのようなことだろうか? スキルを磨く、知識を蓄える、経験を積む‥‥。十人十色の成長がある中で、どこに注力すればより輝ける自分になれるのか。そこで注目したいのが、俳優・寺脇康文氏だ。寺脇氏といえば、テレビ朝日系ドラマ 『相棒』、NHK連続テレビ小説 『おひさま』 での熱演や、TBS系ワイド・バラエティ番組 『王様のブランチ』 におけるMCとしての活躍が記憶に新しい。また、舞台好きならば、同じく俳優の岸谷五朗氏とともに立ち上げた 「地球ゴージャス」 での活動も注目していることだろう。寺脇氏に注目してほしい理由は、そのスタンスにある。寺脇氏は俳優となったその日から光り輝く道を歩んできたわけではない。苦労も多分にあった。しかし、常に自分自身の可能性と、自分の本音と、素直に向き合ってきた。それが、俳優として成長してきたエンジンとなっている。今回は、名優・寺脇康文の半生を振り返り、人の成長を促すエッセンスとはどのようなものなのか、探ってみたい。
 
 

初めての給料を見て激震が

 
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 実は、ちっちゃい頃から漠然とテレビに出る人へのあこがれがあったんですよ。小学校の文集には 「漫画家かスターになりたい」 と書いていましてね。漫画家で憧れていたのは永井豪さんで、スターのほうは森田健作さんや、当時ドリフターズで大人気だった加藤茶さんでした。子供心に、人に何かを見られたり表現するようなことに興味があったのは間違いないでしょうね。
 ただ、よくある話ですが、中学や高校では、将来のことなんか何にも考えなくなってしまった(笑)。 そうこうしているうちに高校の卒業が迫ってきましてね。周囲の大部分は大学進学を希望している。じゃあ、俺も、と何の考えもなく受験して。そんな考えですから、何学部に行きたいという希望もなく、とりあえず文学部でいいかという程度の気持ちで。そんな考えですから、当然落ちまして、予備校へ通うことになった。またそんな考えですから、当然勉強に身も入らない(笑)。 で、またしてもそうこうしているうちに、アルバイトをするようになった。いわば流されるままのような身の振り方ですね(笑)。 ところが最初の給料をもらったときに、思いがけないような形で劇的なの転機が訪れたんです。
 当時はまだ振込制ではなく、給料袋に入れられた給料を手渡しで渡されていました。その最初の給料日です。給料袋を手に、駅に向かう際に、ごく短いエスカレーターに乗ったんです。そこで袋を開けてみたわけですよ。19歳の男のアルバイトの給料なんて、せいぜい10万円くらいじゃないですか。その金額を見たとき、雷に打たれたような衝撃が走ったんです。「俺、将来どうやって稼いでいくのかな」 と。自分が働いて手にした10万円を見て、考えました。「そうだ、俺はこれから、親に食わせてもらうわけではなく、何かをして食っていかなきゃいかないんだよな。でも、何をするの、俺?」
 将来の展望も夢もない19歳。ただ 「俺、芝居とかテレビの仕事だったら、やっていけるな」 という確信がなぜかあって。短いエスカレーターを降りたとき、時間でいえば十数秒程度でしたが、根拠のない自信をバックに、もう俳優になろうと決意していました。
 
 
 
 

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