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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

自らの資質に根ざした経営展開
Freshness Burger の先鋭の発想

 
 

形を決めず漠然と起業を思い描いていた
 

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 何かしたいとは思っていましたが、飲食にしようと決めていたわけではなかったんです。上場企業で3年も社内を見て回れば、それなりの経営知識、経営感覚はつかめると踏んでいました。ただ、自分のやりたい事業のイメージを考えてはいましたが、決して「これをしたい」という明確なものではなかったです。
 ちょうどそんなとき、義理の兄である田渕道行に「ほっかほっか亭」の創業に誘われたんです。今でも鮮烈に覚えていますが、言われた言葉はたった一言。「会社を辞めてこい。一緒にやろう」と。すごいんですよ、エネルギーが。ギラギラしてて。それに感動したんですね。
 その人の人生を左右する決断を求めるときに、私には「そっちを辞めてこっちに来い」という誘い方はできないと思った。この人はすごいと直観しました。それに加えて、ロマンとビジョンを熱っぽく語ってくれたんです。私は当時、「一部上場企業に入ったものの、上には上がいるし、ここでは社長にはなれないだろう」と考えてくすぶっていました。そこに「あったかいご飯を弁当に詰めて提供すれば、売れる!」ととにかく田渕が力説するので、話を聞いているうちにこちらもテンションが上がってしまって、「とりあえず100店舗まではやってみないか?」「じゃあ、やりましょう」と決断したわけです。
 ただ、お金がない状態での起業でしたので、スタートは草加市の、すごく安いボロボロの小屋でした(笑)。 そこでご飯を炊いて、ウナギをさばいて・・・・・・家族総出でやっていました。手づくりと言えば聞こえはいいけど、手づくり以外に方法がありませんでしたから(笑)。 でも、「コメは一番ササニシキ」というテーマとその手作り感が、逆に評判になったんです。
 創業から約1年間は事務所もなく、朝のミーティングを終えるとショットガンフォーメーションで営業員が散って、店舗拡大のために一日中動き回っていました。女性の社会進出がすすんでいた時期でもあり、フランチャイズ希望者が後を絶たないんですよ。おかげさまで、昭和53年の9月に1号店をスタートして、1年で128店舗を達成しました。
 当時は来る日も来る日も、物件を見ては押さえる毎日でしたね。積水ハウスで現場監督をやっていた経験を生かして、直接大工に交渉して、一番安い施工でお願いするなど、とにかく店舗拡大のペースに追いつくのが必至でした。それがまた全国にわたりますから、地方から地方を飛び回って、東京に戻る間なんてほとんどない。気付けば4年で1000店舗を達成し、事務所は7回引っ越しました。まあ、200店舗を超えたあたりから、もう後に引けない気持ちになっていましたね。
 
 
――事業が拡大すればするほど、それまで勢いに任せて乗り越えてきた問題点が急激に顕在化してきた。よほど整備されたオペレーションがない限り、全国1000店舗のフランチャイズ管理など、到底できるものではない。しかし、それは、「業態はどんなものであれ、ベンチャー企業を作りたい」と願っていた栗原氏に、再びベンチャー以外の世界へ、つまり被雇用者の安定した世界へ戻ることを意味していた。そんな中、次々と大きな問題が起こるべくして起こってきたという。

 

事業拡大の果てに直面した大問題
 

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 管理が追い付かなくなって、お金を持ち逃げするスタッフが出てきたりしましたね。今から考えると、かなりずさんな管理体制だったのが分かるんですが、当時はそんな意識がなかった。忙しいのにも関わらず六本木で飲み歩いていたり・・・。経営者としての緊張感がなかったんですよ。
 そんなときに食中毒事件が起きた。しかも、事件が新聞に出たときに腑に落ちない反応があったのです。問題の弁当は、我々の計算では100個しか出してしまっていないはず。なのに、食中毒を訴えてきた人が2000人もいたんです。おかしいでしょ? もちろん全てに対処しましたが、事業が大きくなれば、こんなふうに食い物にされる危険性も、社会的な責任も付きまとうことを、痛いほど理解したんです。「会社をたたみます」と言えば簡単ですが、パートやアルバイトもかなりの数がいますし、彼らの生活のことを考えたら自分たちの都合だけで事業を動かすことはできない。そう知ったときから人間が変わりました。そこで、「真のフランチャイズを築こう」ということになって、一部ダイエーと提携することになったのです。
 
 
――ダイエーとの提携下では、地域本部制が進められていった。「ほっかほっか亭」の東日本本部に所属していた栗原氏は、この時期に一部上場企業とベンチャー企業との成長観の違いを明確に認識したという。「200店舗出したらやめる」という考え方を見直し始めたのもこの時期だった。そして、しかるべき時期に新たな事業との出合いが訪れた。
 
 
 ベンチャーの場合、会社が大きくなるにつれてどんどん人が入ってくる。ベンチャーは人が入れ替わることで発想が新しくなるし、いい人材が残る。よくコンサルタントで「人の入れ替わりは少ないほうがいい」と提唱する方がいますが、私はそうではないと思っています。もちろん、会社の成長度が一定の時期に来たら、社員が仕事を深く覚えるために入れ替わりは少なくなったほうがいいのは間違いありません。ただ、成長段階の時期に新陳代謝にセーブをかけてしまうと、優秀な人材のふるいわけができなくなる。そのことは確かですね。私はそれに、この時期に気付きました。同時に、今の会社がすでにベンチャーではなく、企業として安定成長を目指すステップに移っていることにも気付いてしまった。私たちは〈創業・成長・再編成・再安定〉という工程を大小問わず踏んできました。そのダイナミックな波の中で、きちんとした工程の区分けがないまま、ごちゃまぜの状態で突き進んできたのですが、いつの間にか組織としてひとつの形に落ち着いてきてしまったわけです。端的に言えば、一部上場に近づけば近づくほど、一部の者の英断で即決できなくなる。「積水ハウスを辞めて13年。またサラリーマンに戻らないといけないのか」そう思うと、急激にモチベーションも下がってしまったのです。
 

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