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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

終わりを新たな一歩に 
解体工事の常識を覆す

 

若い頃の度重なる苦労が糧に

 
 
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鈴木 私の両親は精肉店を営んでいまして、家業を手伝うことはあったものの、家計を支えるまでには至りませんでした。酒井社長のご家族を思う気持ちには脱帽です。
 
酒井 高校卒業後は建築の専門学校に進学しました。そう考えたのには訳がありましてね。実は、18歳のときに、アルバイトで稼いだお金で友人から車を買ったんです。その車は、友人が親から買ってもらったもので、つまり、友人は何の苦労もすることなく、私が汗水垂らして稼いだ金を手に入れ、その金で遊んでいるんですよ。「人生とは、世の中とはこのようなものなのか」とやるせなさを感じると共に、「このままふてくされていても将来はない」と悟り、建築専門学校に入学して必死に勉強しました。
 
鈴木 なげやりになったまま、その後の人生を送る人もいるでしょう。しかし酒井社長は「運命は自分で切り拓くものだ」と気付かれたわけですね。
 
酒井 はい。苦学したかいがあり、競争率26倍という狭き門をくぐって大手建設会社に就職できました。結婚して息子も生まれ、やりがいを持って働いていたのですが、父が病気で倒れ、またも家計を助ける必要が生じたのです。しかも今度は自分の妻と子も養わなくてはなりません。そこで、より多くの収入が得られる大手不動産会社に転職したものの、そちらの仕事内容は猛烈極まりないものでしてね。1日に300~500件ほどの電話営業を行い、マンション購入を勧めなければいけません。お客様に怒鳴られることは日常茶飯事でしたし、アポイントが取れなければ深夜休日問わず電話をかけ続けなきゃいけない。その結果、家庭不和となり、可愛い盛りの息子と別れて暮らすことになってしまったのです・・・。
 
鈴木 家族と接したいと思いながらも仕事に専念せざるを得なかった酒井社長のお気持ち、痛いほどよくわかります・・・。
 
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酒井 月に1度、息子と会えることが唯一の楽しみでした。ただ、お金がなければ息子に物も買ってやれません。お金を貯めるために友人からの誘いも断り、必死になって働きました。辛い日々に涙がこぼれたこともありましたが、そんなときは息子の写真を見て自分を励ましていたんです。その後、妻とは復縁でき、今でこそ「あの辛い時期を乗り越えられたからこそ今がある」と思えるものの、あの頃には絶対に戻りたくないですね(笑)。