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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都出身。学校卒業後、15歳で鳶工事を手がける父の会社に入るも、厳しさに耐えかねて退社する。その後、行きつけの喫茶店で接客業を4年経験。社会経験を積んだ後に父の会社に戻り、修業を積んだ。2006年に2代目代表取締役に就任し、職人や取引先への思いやりを重視する方針で、会社を牽引している。【ホームページ
 
 
 
東京都北区を拠点に仮設工事や鳶・土工工事を手がける有限会社山田組。2代目代表取締役の山田智明氏は、15歳で家業の手伝いを始めるも、仕事の厳しさに一度くじけ、接客業に転職した経緯がある。しかし、その経験で身に付けた“人の気持ちを推し量る”、という心がけは今も仕事の随所で活きており、職人や取引先とのコミュニケーションは欠かさないという。そんな山田社長に、仕事での心がけや会社の特色をうかがった。
 
 
 

厳しい若手時代と接客業での経験

 
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インタビュアー 鈴木啓太(サッカー元日本代表)
鈴木 東京都北区で仮設工事、鳶・土工工事を手がける山田組さん。山田社長は2代目だとお聞きしました。やはり子どもの頃から、後を継ぐことは意識していたのでしょうか。
 
山田 はい。周囲の職人から度々、「学校を出たら、足袋を履いて現場に行くんだろ」と言われていたので、私もそのつもりでしたね。ただ、当時は少し考えが甘かったようで・・・。実際に学校を卒業して現場に入ってみると、現場の職人たちはとにかく怖い。昭和気質で何でも力任せのところがあって、当時15歳の私に30㎏の材料を高い所まで運んで来いなんて言うんです(笑)。
 
鈴木 若くして、相当揉まれたようですね(笑)。
 
山田 ええ。それでその時は、あまりの辛さに辞めてしまいました。そのうち、学生時代からよく通っていた喫茶店の店長に、「ぶらぶらしているなら、うちでバイトでもしなさい」と誘われまして。それからしばらく接客業に就いていました。でも4年後に運営母体の社長から、「あと1年で店長にするから」と聞いた時に、「1年後の店長より、10年後の社長になりたい」と思ったんです。それで家業に戻ることに決めました。
 
鈴木 家業に戻られて今があるのは、きっと喫茶店で働いた期間があったからこそですよね。
 
山田 そうなんですよ。そこでの4年間があったからこそ、社長になるという目標が持てたし、何より社会が何たるかを学べました。例えば、「このお客様は水が欲しいのか、コーヒーのおかわりが欲しいのか」、そういうこと1つとっても、常に相手の気持ちを考え、察するようになったんです。