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スポーツ 建山義紀の「ココだけの話」 vol.12 (最終回) ここだけの話も最後やで 建山義紀の「ココだけの話」 テキサス・レンジャーズ投手

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vol.12(最終回)ここだけの話も最後やで

 

これがアメリカの野球

 
 アメリカの野球はとにかく合理的です。形式張ったものは必要なく、合理的な考え方だけが通じる世界。例えば、フロントですごい手腕を発揮する人が必要だったら、その人と選手とをトレードするとかね。いわゆる一つのヘッドハンティングなのですが、その人材取引を成立させるためには「トレードだろうがなんだろうが使えるものは使ってしまえ」というような手法の自由さがあった。
 
 チームづくりの中でひとつ感心したのが、カンザスシティ・ロイヤルズの「5ヶ年計画」。「うちはここから先、5年勝てません。その間にチームづくりをしますから我慢してください」と、ファンやスポンサーに向けて最初から白旗を見せているんです。その計画では、自チームの主力を放出して、トレード先から有望な若手を獲る。その選手が熟して、はじめて優勝できるチャンスが来た時に、一気に勝負に出る。実際、去年のシーズンが始まる前に、ストーブリーグでカンザスシティーのGMが言ったんです。「ついに勝つ時が来た」と。
 どうなるのかなと思って見ていたら、今度は今までとはまったく逆のことをした。つまり、自チームの若手を放出、実践で使える主力をトレードで獲ってきたんです。育ってきた選手プラス、即戦力の選手を付け加えることで「我々は今年勝ちに行く」と。言葉通り、去年のカンザスは非常に強かった。
 
 これが成功するしないは別として、それでもファンが納得して球場に足を運ぶというのはすごいですよね。日本ではちょっと考えられないケースです。
 ただ、アメリカの場合、チームが5ヶ年計画を掲げて優勝を達成できなかったら、フロントはクビになります。日本では、そういうことができる球団は・・・今のところないかな(笑)。
 
 

コラム建山義紀の「ここだけの話」を振り返って

 
 アメリカに行ったからこそ学べたことの1つとしては、メジャーで162試合を戦えるのかとか、自分が経験してきたマイナーの厳しい環境を目の当たりにして、いや無理だなとか、絶対マイナー行ったらダメだなとか、そういうことは、経験をして乗り越えることで払拭できました。実際、ファイターズに復帰した田中賢介も、「2年のアメリカ生活で経験したことは大きい。これから日本で起こる大概のことは、全然気にせずに過ごせます」と言ってましたけど、本当にそう思います。こういうことは、人から聞いてというだけでは何も変われませんから、自分で乗り越えてきたことで自信になりましたね。
 
 ヤンキース在籍時の2013年には、マイナーではありましたが4年ぶりの先発という経験もしました。アメリカでないと、そういうことも起きなかったかな(笑)。最もイニングを投げたシーズンでもあり、とても新鮮なシーズンを過ごさせてもらいましたね。もし、そのままレンジャーズにいたら契約はなかったかもしれません。移籍に関して、レンジャーズがヤンキースに行くという便宜を図ってくれた。ヤンキースは、以前から僕に興味を持っていてくれたので、レンジャーズが、なんとか僕にもう一回チャンスを与えるという意味で、トレードしてあげて、みたいなことはあったと思うんです。今振り返ってみると、交換要員も定かでなくて、ひょっとしたら無償トレードだったのではないかな、とも思っています。でも、そのおかげで新しい環境でプレーすることができましたし、翌年もヤンキースに契約してもらえました。
 
 昨年は阪神タイガースが僕に声をかけてくれました。自分を必要としてくれた阪神には感謝しています。契約成立後、健康状態をチェックする意味でジェフ・ウィリアムスと、アンディー・シーツ(両阪神タイガース駐米スカウト)の前で、レンジャーズのマイナーのブルペンを借りて、ピッチングを見せたんですよね。その時、僕、全くレンジャーズ関係ないのに、AAAのキャッチャー捕まえて、「受けてくれ」って、チップだけ渡してキャッチャーやってもらったり。ここだけの話やで。
  
 アメリカでは、日本と違って言葉が全て通じるわけではありませんでしたが、仲間たちの行動や、態度など肌で感じるものはたくさんありました。みんなに気にかけてもらい、いろいろ便宜を図ってくれた。自分と関わってくれた全ての人に感謝しています。
 
 現役時代の16年間は“野球”という教室の中でいろいろなことが学べました。人間関係もそうだし、その他にも、自分が興味を示すようなこと、例えば、フロントのことや、組織の中でリーダーとして先頭に立ってやることがどういうことなのかを学べたり、野球の中でいろいろな経験を積むことができたので、教室で勉強しているような感じでしたね。野球以外のこともたくさん学ばせてもらいました。
 
 

思い切り投げ込んでいけ

 
 引退後も野球人としての仕事をしているわけですが、仕事へのスタンスは今も昔も変えているつもりはありません。このコラムを連載しているB-plusのコンセプトが「仕事を楽しむ」。僕流の仕事を楽しむとは、「仕事に対して最高の準備をすること」。どんな環境の人でも、しっかり仕事に対する準備ができていたら、開き直れるというか「あとはやるしかない」という気持ちになれる。「開き直り=楽しめる」につながってくるし、反対に、仕事に対して不真面目で手抜き加減が出ると、うまくいかないし楽しめない。楽な仕事なんてないですから、そんな中で仕事を楽しむためには、最高の準備と努力が必要ですよね。逆に、それさえできていれば、どんな状況でも仕事を楽しめると思います。
 
 季節柄、新しい道に進まれた方もたくさんいらっしゃると思います。僕も新たな一歩を踏み出しましたが、新しい場所に行くというのは不安もあります。僕も次のステップへ向けてしっかり準備はしていましたが、僕らで言う初仕事の1月、2月は全然仕事もなくて、違う仕事したほうがいいのかな、とか思いながら過ごしたこともありました。ただやっぱり自分は、解説者として、野球人としての仕事をしたいという目標があったので、いろいろなチームの情報を調べたり、ニュースをあらってみたりとか、そういうことをしていました。やっぱり、早め早めにしっかり準備していてよかったな、と思っています。
 不安を抱えているのは自分だけではないので、あまり自分だけで悩んでいるような形にはなってほしくないですね。不安な中で、どれだけ大事な第一歩を踏み出せるか。それが一番大事なので、思い切れる姿勢だけは持っていてほしいと思います。僕もいろいろな成功も失敗も経験してきましたが、思い切った時ほど、いい結果が出たものです。
 
 
 思い切り、ひたすら仕事に向き合う。自分に向き合う。それは僕の変わらない軸の部分です。皆さんも、艱難辛苦、いろいろあると思います。でもね、思い切りボールを投げてください。このコラムでもお伝えしてきましたが、必ず見てくれている人はいます。
 最後に、コラムを毎回楽しみにしてくださっていた皆さまへ。今まで読んでくださってありがとうございました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。球場でお会いできることを楽しみにしています。
ここだけの話やで! 今までありがとう!! 
 

〈連載了〉

 
 
 
 

 執筆者プロフィール 

建山義紀 Yoshinori Tateyama

野球評論家

 経 歴 

1975年、大阪府出身。中学時代からボーイズリーグにて野球を始め、東海大仰星高校ではエースとして君臨。1998年にドラフト2位で北海道日本ハムファイターズに入団すると、ルーキーイヤーの1999年にいきなり先発ローテーションへ定着。2002年から2004年にかけてセットアッパーとしての才覚を表すと、リーグ最多の13ホールドを記録し、最優秀中継ぎ投手を獲得。その後、先発・リリーフともに計算できる投手としてチームに貢献した。2010年に海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明し、テキサス・レンジャーズに入団。2013年のシーズン途中、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。2014年6月からは阪神タイガースで活躍し、同年を限りに現役を引退。2015年からは野球評論家・解説者として新境地を開拓している。

 ツイッター 

http://twitter.com/tatetatetateyan

 
(2015.4.15)
 
 
 

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