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今月の書評の本は何にしようか、と本屋の棚を見上げていて、中公新書のコーナーで、『人口減少時代の土地問題』と『人口減少時代の都市』という、音の響き的にはほとんど同じタイトルの本が並んではさまっているのを見つけました。去年7月発行の中公新書№2446と、今年2月発行の2473。両脇には間の2450、60番代の中公新書がいくらでもあるのにこの2冊が隣同士に並べられていたのは、書店員のはからいか、はたまた心ある客のいたずらか。
 
そんな妄想をしてしまったのは、先に読んだ『人口減少時代の土地問題』がそれくらいいい本だったから(vol.38参照)。本書も『人口減少時代の都市問題』としてもよかったのにと思いつつ、中身との整合性からは、ベストは『人口減少時代の都市経営』だったでしょうか。つまり「都市経営」が本書のテーマです。
 
都市を“経営”するとはどういうことか、一瞬戸惑うかもしれません。都市や地域は“在る”もので、運営という意味での舵取りは首長や議員がやるにしても、経営感覚で扱うものではない――むしろ扱われるべきでない――というのが世間の無意識の見方だろうからです。でも実は、それが現代の感覚で思うほど自明ではないことは、たとえば本書54、55ページが象徴的に示しています。
 
「しかし市営事業の稼ぎ頭であった電力供給事業は、第二次世界大戦に向けて総力戦体制が構築される中、強制的に国家管理に移され、終止符を打たれてしまう。一九三八年に国家総動員法が成立し、‥略‥一九四一年の「配電統制令」が勅令として出たことで、財政的な補償と引き換えに事業を国家管理に明け渡さざるをえなくなった。都市財政はこうして、電気供給事業という貴重な財源を失うことになったのである(室田1993)。」
(第2章第1節「大阪市財政と市営事業」の項より)
 
引用はさらに「戦後の地方自治体は、財源が足りない場合はお上(中央政府)からの移転財源(補助金・地方交付税交付金)の増額を訴える傾向が、当然のことながら強まってしまった」と続きます。“経営”の感覚で都市を見るまいとする姿勢は国が戦争という非常事態に際してとった一時的な措置の名残であり、戦後高度成長の中でなし崩し的に残されただけで、決して自然な姿でもより良い姿でもない。これは本書の主張ではなく事実です。人口減少時代の都市も地域も、まずはこの認識から始めなければなりません。
 
ただ、その先が厄介です。本書の方法論は、要はコンパクトシティー化を推し進め、集積のメリット――具体的には中心市街地の地価上昇による固定資産税収等の増加――を財源として都市経営にあたる、というもの。再生エネルギー事業の普及で所得が域内還流するようになることへの期待も言及されてはいますが、主には土地の資産価値の集積です。
 
そうなると、189ページ末尾からの一文――「人工減少下でこそ、都市が真に持続可能性の条件を備えているか否かが、試されることになる」――を「条件を備えていない都市は戦略的に切り捨てていくことになる」と言い換えた場合にどうなるかからも想像できる通り、ことは政治マターになります。もっと言えば政局マターになるかもしれません。実際に、本書第2章第2節には、美濃部亮吉都知事が地方自治の嚆矢となる政策を東京都で実行した際、それを詰めの局面で頓挫させたのは1976、77年当時の東京都議会の政局であったことが書かれています(p74)。そんなふうにさせないためにこそ住民自治を涵養すべきなのだという一文が189ページ末にありますが、上記引用の配電統制令以来約80年間も自治の意識を削られてきた地方自治体が、ひいては地方の有権者たちが、これから住民自治の気風を取り戻すのは並大抵のことではないでしょう。
 
ただ、本書はこの課題に“あえて”楽観論で臨みます。著者は富山県富山市や長野県飯田市、また香川県高松市の丸亀町商店街など、個別利害――政局マターの別名です――を超えて住民自治による都市経営に成功した例を詳細にレポートしています。ドイツで成功している「シュタットベルケ(都市公社)」方式やアメリカ中西部諸都市の「ランドバンク」方式にヒントを得る考え方も紹介しています。そして本文のラストに至り、著者は次のように宣言します。
 
「そもそも、住民自治を人工的(政策的)に涵養することができるのか、という疑問が生じるかもしれない。本書はこの問いに対して、あえて『可能だ』と回答しておきたい。」(p197)
 
この言明に力を得て、評者も次のような一案を練りました。180から182ページあたりにある「連携中枢都市圏」構想からの着想です。この構想は「圏域」という概念のもと、連携中枢都市(政令指定都市もしくは中核市)に対し、主に「圏域全体の経済成長の牽引」と「高次都市機能の集積の役割」を担わせ、その便益を圏域全体に波及させる責任を負わせています。例えば九州地方であれば、福岡市が連携中枢都市となり、福岡、佐賀、長崎、大分の各県を九州北部圏域としてまとめるようなことでしょうか。評者としては、そのときに、学校教育から見直してはどうかと思うのです。
 
各県が個別利害=部分最適で動くのではなく、「圏域内において」という包括的視点から、自県の風土・伝統に即して最も得意な立ち位置を意識し、それに集中投資する。それらを圏域内の自治体同士が「うちにはないこれがあそこにはある」と互いに認めあい、知識として共有し、学校教育に落とし込む。九州ぐらい平らで交通条件が良くて各県の特色が際立っている地方であれば、試してみる価値はあると思います。だって、いつまでも福岡人が佐賀人のことを田舎者とバカにしていても、しょうがないじゃないですか。
 
教科名は「九州北部の民俗」、あるいは語呂を良くして「九州民俗(北部編)」がいいでしょうか。その際は専用の教科書も編纂しましょう。プロジェクトが始まれば、圏内各県の国公立大学の教育学科系および社会学科系の教授陣は俄然燃えるのではないかと思います。もっとも、教育行政ほど政治マターにされやすいものもない点は、要注意ですが。
 
(ライター 筒井秀礼)
『人口減少時代の都市 成熟型のまちづくりへ』
著者 諸富徹
株式会社中央公論新社
2018/2/25 初版発行
ISBN 9784121024732
価格 本体800円
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(2018.9.12)
 
 
 

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