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Vol.6 1995年、アクション・スピード発進す

 
 
 フルタイムの給与が出るトップチームのメカニックと言えども、レースウィークの食事と言えば「とりあえず腹を満たす」レベルのものが多いし、宿は安宿に泊まるものだが、私たちは好きなものを、好きなだけ飲み食いしてもらうことにした。宿も、ワークスチームが宿泊するような、きちんとしたホテルを毎戦手配。
 さらに、最大で片道5000kmもあるサーキットへの移動は、トップチームといえども、トラックで何日もかけるのが常識だったが(これは本当に辛いものだ)、私たちのチームのメカニックたちは、飛行機でゆうゆうと目的地へと向かうことができるようにした。持ち物はアタッシュケースひとつあればいい。移動に2日も3日もかけることは無いし、レースが終われば月曜日から彼らの「本業」に戻ることも可能になったのも大きい。
 
 ・・・代償として、バイクや機材をトラックで運搬するのは、私と三島さんの仕事になった。もちろん、ベストな参戦体勢ではなかったかもしれない。だが、そんな姿を見てメカニックたちも奮闘してくれたし、自分で運転をしながらアメリカの各地を見て回り、「アメリカ人」と言葉を交わし、彼らの文化や考え方とじかに触れあうこともできた。ここに書き切れないほどのエピソードを生み出してくれたこの経験も、その後の人生にとって大きなプラスになったと考えている。
 
 

「宮城光とアクション・スピード、恐るべし」

 
 こうして始まった1995年シーズン、私たちの小さなチームは、考えていた以上のパフォーマンスを発揮した。常にトップ10を争うだけでなく、時には、昨シーズンまで所属していたエリオン・レーシング──押しも押されもせぬトップチームだ──とも競り合ったのだ。
 
 特に忘れられないレースはふたつある。
 
 ひとつは、6月に行われたミッドオハイオのレース。現在、アメリカのインディカーシリーズで活躍する佐藤琢磨選手が得意とすることからもわかるように、乗り手の「腕」が問われるこのコースで、私たちのチームはスーパースポーツ600のポールポジションを獲得。決勝もミゲール・デュハメル、マイク・ヘイルといったホンダワークスライダーに次ぐ3位に入ったのだ(「イカサママシン呼ばわり」されたのも、このレースだ)。
 
 それだけではない。アメリカで最も権威あるバイク専門誌『サイクルワールド』のエディターであるドン・カネー氏とともに参戦したアンリミテッド・チーム・チャレンジでも3位。「改造範囲無制限」のこのクラスで、「カラーリング以外はほぼノーマル」に近かった私たちのチームがこの結果を残したことは、パドックに小さくない衝撃を与えた。
 
 忘れられないレースのもうひとつは、「残念だったレース」だ。
 
 ワールドスーパーバイクの前座レースとして行われた、7月のラグナセカのスーパーバイク750クラス。不利なのは承知の上で走らせていた、600ccのCBR600で、残り4周まで単独2位を走行したのだ。
 当時、ほぼワンメイク状態となっていたスズキのGSX-R750との馬力差は、おそらく20馬力から25馬力。雨が降ったことで、このビハインドが多少緩和されていたとは言え、ここで表彰台を獲得すれば、おそらく史上初の快挙になるはずだったが、結果はなんとガス欠リタイア。
 地元に帰ってきたメカニックたちの気の緩みによるもので、さすがの私も雷を落としたものだが、これらのレースによって「宮城光とアクション・スピード、恐るべし」をエントラントたちに印象づけることができたと思う。
 
 

「人」がいてくれたからこそ

 
 1995年のポイントランキングは、スーパースポーツ600クラス6位、スーパースポーツ750クラス5位、アンリミテッド・チーム・チャレンジ4位。
 急ごしらえのチームでこれだけの結果を残すための力になってくれた「人」の顔は、今でも鮮明に思い出すことができる。
 契約社会のアメリカでありながら、「予選でトップ5に入ったらタイヤをワンセットサービスしてやるよ」といった「口約束」で私をサポートしてくれたダンロップのサービススタッフ、アメリカスズキの社員でありながら、ホンダ系チームの私にトレーニング用のモトクロッサーや、整備場所を貸し出してくれたアキ・後藤さん、たびたび食事に連れ出してくれたUSヨシムラの渡辺さん、ホンダの朝霞研究所の篠崎さん、中村さん・・・。
 
 私のチャレンジに「面白み」を感じてくれる人、夢を託してくれる人、何の見返りも求めず、「若者のために」と力を尽くしてくれる人。
 
 頂点を過ぎ、小さな極東の国・日本からやって来た男。その男に国籍を超えて多くの人が賛同してくれたこととあわせて、全てが忘れがたい時間だった。
 
 ビジネスの基本が「人」「モノ」「金」であることは間違いない。だが、その中で何が出発点になるかと言えば、きっと「人」だろう。多くの人もそう考えるだろうが、私も実感としてそのように考えている。1994年に「大リコール」を発生させたに等しい「宮城光」という主力商品は、そんなパートナーたちの力によって再チャレンジの機会を与えられたのだから。
 
 
──第7回に続く
(構成:編集部)
 
 
 「トップを走れ、いつも」
vol.6 1995年、アクション・スピード発進す 

 執筆者プロフィール  

宮城光 Hikaru Miyagi

MotoGP解説者

 経 歴  

MotoGP解説者、元HONDAワークスライダー。1981年からオートバイレースを始め、1983年の全日本選手権(GP250クラス他)でチャンピオンを獲得。翌84年は同選手権F-1クラス(4ストローク750cc)に参戦し、またもチャンピオンを獲得。その後も主に全日本と全米選手権でHONDAワークスライダーとして活躍し、2000年からは4輪レースでも活躍。引退した現在はレース解説やモーターサイクル関連イベントの司会、安全運転講話、HONDAの歴代レーシングマシンのテスト走行などで活躍中。

 オフィシャルホームページ 

http://www.hikarun.net

 フェイスブック 

https://www.facebook.com/Bplus.jp#!/miyagi.hikaru?fref=pymk

 
(2014.11.19)
 
 
 

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