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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

心の声に素直に従い
チャンスを呼び込む行動術

 
 
片岡氏は幼少期から将来のロードマップを描き、迷うことなくそれに突き進んでいた。そしていよいよ、目標を達成するための足がかりとして師事する人を得る。下積み時代にはどんなことを学んだのだろうか。
 
 

粋な師匠の教えと横澤氏との再会

 
 師匠には芸人としての立ち居振る舞いや作法について仕込まれました。「芸人は四六時中見られているのだから、所作はキレイにしろ」 とね。「芸人は痩せ我慢するもの」 という、粋な人でした。弟子としての毎日に苦労なんて微塵もなかったですよ。楽しくて仕方がないし、目標に向かっている喜びでいっぱいでした。 
 その後、少しずつテレビの仕事が入ってくるようになったのが、23歳くらいの時。そこで、『お笑い大集合』 という番組を立ち上げた横澤さんと再会したんです。でも当時は、今でも語り草になっている漫才ブームで、ピン芸人の私はなかなかその流れに乗れなかった。しばらくたった1981年に、横澤さんがプロデュースした 『オレたちひょうきん族』 に出してもらうようになって、ようやくブレイクできたんです。
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 私が有名になったマッチこと近藤真彦さんの真似、あれも横澤さんの仕掛けです。当時大人気だったマッチが歌う、「『ギンギラギンにさりげなく』 をやってくれ」 と収録の3日前に言われました。だけど、マッチの真似なんかしたことがない。急いで曲と歌詞を覚えてぶっつけ本番でしたよ。マッチは縦横無尽に動き回るスタイルで歌っていたから、私も 「マッチでぇ~~す!!」 なんて登場して、爆竹が鳴っている舞台中をハチャメチャな動きで駆け回った。そして最後に死ぬ(笑)。でも、それが受けた。受けたら 「もう一度やってくれ」 となる。でも、2回目も3回目もやっぱりマッチは死ぬんですよ。台本を見ると 「マッチ、鉄板で焼かれて死ぬ」 とかね。やるたびに、「マッチ死ぬ」 「マッチ死ぬ」 (笑)。でも、それが受けたんです。
 当時は26歳くらいでした。以降、レギュラー番組も増えて、自分の番組も持てて。私の造語である 「プッツン」 が1986年に新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選ばれたりね。そして、もう一つの目標、俳優の仕事も舞い込んでくるようになったんです。今までは芸人として人間の 「陽」 の面しか見せていなかったけれど、俳優として人間の喜怒哀楽や不条理を表現できるようになったのが嬉しかったですね。でも、ブレイクしてからは毎晩、飲んで食べて騒ぐような私生活をしていたから、ブクブクに肥っていった。だから、「何とかしなければ」 と思っていましたね。
 
 
 
 順風満帆に見えるかもしれないが、本気で俳優に取り組むためには 「心と体をリセットしなければならない」 と思っていた片岡氏。その時に決意したのが、昔から憧れていたボクシングのプロライセンスを取得すること。当時32歳、ライセンスが取得できるのは33歳まで。時間はたったの1年しかなかった。
 
 

ボクシングが俳優やタレントの仕事に活きた

 
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 私の体格だとジュニアバンタム級くらいが適正階級なので、プロテストまでの1年間に、15kgの減量が必要でした。かなりキツイですよね。でも、行動しないと一生後悔することはわかっていた。それで、レギュラー以外の仕事を少し減らし、元世界チャンピオンの渡嘉敷勝男さんや、スポーツインストラクターとしても知られるタレントのチャック・ウィルソンさんの助けを得て、ボクシングの基礎技術の習得と肉体づくりに励み、半年で8kgほど体重を落としてから協栄ボクシングジムに通い始めました。
 ところがその時、『異人たちとの夏』 という映画の出演依頼が来ていたんです。ライセンスを取るための練習期間と、初出演になる映画のクランクイン時期がほぼ重なってしまった。それで、クランクインの少し前に、映画監督の大林宣彦氏にボクシングをやっていることを告げました。練習をしていれば、スパーリングで顔にアザができることもあります。そんな人間が映画に出るのはどうかと思うし、降ろされるのを覚悟しての告白でした。でも大林監督は、「映画は俳優の顔を撮るんじゃない。人間を撮るもの。だから、傷があったって背中を映すから大丈夫。私は鶴ちゃんに出てほしいし、君を撮りたいんだよ」 と言ってくださった。本当に、ここにもいい出会いがありましたね。
 初映画だから緊張するかと思っていましたが、同時進行でやっていたボクシングのほうが怖いですよ。私より若くて経験のある選手と毎日のようにスパーリングをするわけですから。その頃に出会ったもう一人の男が、後に世界チャンピオンになる、鬼塚勝也選手です。当時は高卒の新人でしたが、シャドーボクシングを見ているだけでも全然モノが違う。ボクシングに取り組む姿勢といい、気持ちといい、何もかもが別次元。そんな彼をトレーナーから紹介されて、一緒に練習をするようになりました。私のプロテストの時には、彼がセコンドについてくれて。世界チャンピオンを目指す男と練習をしていたわけだから、自分がプロになれないわけがない。そう言い切れるくらいの練習量でしたし、実際に私もプロボクサーになれました。
 その後は私が鬼塚選手のマネージャーとして二人三脚で世界の道へ登りつめていく。彼のストイックなボクシング人生を傍らで見守り、支援することに大きな喜びがあったし、過酷なボクシングの世界に浸れたことが、俳優やタレントの仕事にも活きていた。アザができるくらい序の口で、下手したら一生に関わるような後遺症を負う危険のあるスポーツですから、タレントや俳優の仕事現場に恐怖を感じることがなくなったんです。 
 
 
 

 

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