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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1957年9月、宮崎県都城市(みやこのじょうし)生まれ。2007年1月、第52代宮崎県知事に就任。2011年1月、宮崎県知事退任。宮崎県知事就任後は独自の感性を政治行政に生かし宮崎県を改革。ふるさと納税・道路問題・ムダゼロ会議等に地方代表として選ばれ、またテレビ等にも多数出演し、地方からの声を発信し続ける改革派の知事として、地方行政をリードした。平成23年1月20日の1期目の任期満了にて退職。現在、各メディア、全国各地での講演会、勉強会などに出演し、地方分権のあり方、若者の政治参加について訴え続けている。著書に創英社/三省堂書店より『決断力。』『決断の真実』、アスコムより『人生を劇的に変える 東国原式勉強法』、講談社より田中義剛氏共著『俺たちの新・日本列島改造論』、ソニーマガジンズ社より島田洋七氏との共著『地方という生き方』、晋遊舎より『人生で大切なことはすべてマラソンで学んだ!』、イースト・プレス社より『逆境を笑え。』、アントレックス社より『日本改革宣言』、東京コラボより『東国原流人生相談』など多数。
 
 
 
東国原英夫という人がいる。かつてビートたけしの弟子として、たけし軍団のホープとして活躍し、その後政治の道へと進んだ。「宮崎をどげんかせんといかん」 というコピーは宮崎県民以外の日本国民にも伝わり、事実、宮崎を“どげんかした”。その志の前には、口蹄疫問題など様々な障壁が立ちはだかった。「芸人」 というキャリアが世間のうがった見方を誘うこともあった。しかし、東国原氏はそのリーダーシップで、地方政治のあり方に新風を吹き込んだ。そこで、ふと思う。「そのリーダーシップを発揮できたのはなぜか」。逆境の中で、行政、県民のリーダーとして闘い続けたモチベーションは、どこから来たのだろうか。その真実に迫る。
 
 
 

小学生時代に思い描いた二つの夢

 
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 実は、小さい頃からお笑い芸人と政治家の両方になりたかったんです。小学校5~6年生くらいの頃にはそう思っていましたね。ただ、小学校の先生に、「共通項がない」 と言われたんです。その時にね、私、こう答えたらしいんです。「どちらも、人を幸せにできる仕事です」 と。
 私は昭和30年代の生まれなのですが、その頃はテレビが各家庭に普及しはじめた時代です。テレビの中には、ニュースがあり、ドラマがあり、歌謡ショーがあり、バラエティがあり・・・・・・。「テレビってなんて素晴らしいんだろう!」とカルチャーショックを受けたのです。時代は戦後の復興期から高度経済成長期に移っていきますが、当時はみんな希望を持っていました。志みたいなものがあって、みんなでこの復興期から、この貧困から脱出しようと努力もしたし忍耐力も発揮した。そうした姿をテレビで見ていて、「この民族は本当に優秀なんだな」と感じたんですよ。日本人、日本が好きになっていったんです。
 もう一つ、うちの父親がサーカスを呼ぶ興行師をやっていたことがありましてね。サーカスには道化役のピエロがつきものでしょう? ピエロは言葉もしゃべらないのにお客さんを爆笑させるんですね。その時のお客さんのふくよかな、幸福そうな顔・・・。芸人として笑いを生み出すこと、そして政治家として行政を元気にさせて、皆さんに元気になってもらうこと。この二つが、私にとっては同じものに見えていたんです。もっとも、芸人として何をやるべきなのか、政治家として何をしていくべきなのかは、その次のステップですけどね。
 こうした考えは子供の頃からずっと不変ですので、人生の様々な局面において何を決断するにせよ、迷ったり考えがブレたりすることはないですね。
 
 
 
 

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