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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW



プロフィール 1971年北海道生まれ。小学校3年生からスケートをはじめ、釧路星園高校時代に富士急行スピードスケート部の長田照正監督の目にとまり、スカウトを受ける。1994年のリレハンメルオリンピック500mで14位の成績を残し、1998年の長野オリンピックでは堂々の3位入賞を果たし銅メダルを獲得。「朋美スマイル」というキャッチフレーズとともに、日本女子スピードスケートのエースとして世界に知られる存在となった。その後、椎間板ヘルニアに悩まされるも復活。2002年のソルトレイクシティオリンピックで当時の女子500mの日本記録を樹立し、2005年1月には通算7度目となる日本記録更新を達成するなど、女子スピードスケート界を牽引する選手として不動の地位を築く。2006年のトリノオリンピック、2010年のバンクーバーオリンピックと5大会連続で出場し、現在は2014年のソチオリンピックに目標を定めている。
 
 
 
岡崎朋美という、ひとりの女性アスリートがいる。スピードスケート選手としての彼女の成功は、今さら言うまでもないだろう。アスリートの名が世に広まるきっかけは、大会で勝ち、結果を出すことに他ならない。「メダルをとった」「記録を塗り替えた」「国民の期待に応える金字塔を打ち立てた」。こうした偉大な歩みの裏には、本人の才能と、たゆまぬ努力がある。しかし、才能があれど、努力をすれど、世に出てこない無名のアスリートはごまんといる。その中で、岡崎朋美は、日本国民の期待を背負うスピードスケート選手として有名になった。それだけではなく、いまだに結果を残し続けている。なぜ彼女は成功し続けられるのか。その要因は、岡崎選手を取り囲む、多くの人間関係の中に隠されていた。――アスリートからビジネスに通じる成功のヒントを聞く、第二弾。
 
 

アスリートを支える人たち

 
 スピードスケートという競技は、個人競技に見えますが、実は多くの人の力を合わせて成り立つと私は思っています。どのスポーツもそうですが、一人のアスリートは多くの人に支えられている。監督、ドクター、後援会、ファン、そして企業など、一つの記録にはその大勢の人たちの後ろ盾が必ずあります。
 橋本聖子さんは、言わずと知れた世界のオールラウンダーです。短距離と中距離という専門を作ることなく競技に参加されていたので、そのポテンシャルの広さは私にとって憧れでした。ただ、目標にする選手でもあるけれど雲の上の存在でもあって、別世界の人のように思っていたところがありました。
 ところが、私が富士急行に入社した際、そこに聖子さんがいらして、私にとっては神様のような存在だった人が目の前にいるわけです。最初は何を話していいかわからなくて緊張ばかりだったのですが、環境にも慣れてきて、練習生活を共にすると、次第に学ぶところが多く見えてきました。自分の置かれている立場をどう理解されているのか、周りの人たちへの気遣いをどうされているのかなど、すごく人間性に魅力のある方だと感じましたね。
 聖子さん、誰にでも、すごく丁寧に接する方なんですよ。日本のトップの選手でも周りに対してすごく気を遣う。マスコミに対しても、きちんとインタビューに答えていくし、きついことを書かれてしまったとしても、それで邪険にするようなことはなかった。氷から降りれば、自分を助けてくれる人たちや自分を見てくれている人たちにはきちんと向き合わなくてはいけない。聖子さんから学んだのは、スケート云々もさることながら、そういう 「人」 としての部分です。聖子さんのお母様も聖子さん同様に丁寧に人に接せられる方ですので、聖子さんも周囲からいい影響を受けているんだなと思いました。
 
 
 
高校での競技生活を経て、憧れの存在である橋本聖子選手が所属する富士急行に入社した岡崎選手。富士急行には実力のある先輩が多く在籍し、練習についていくだけでも大変だったという。だが、そこで奮起できたのは、ライバルの存在が大きかった。
 
 

ライバルをどう見る?

 
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 社会人になってからのライバルを挙げろと言われると、島崎京子さんになるでしょうね。でも、島崎さんは高校時代から大活躍していた選手です。白樺高校のときから天才と言われているような方で、高校生でワールドカップとか世界大会を走れる実力は折り紙つきだった。高校時代に、私も 「白樺高校の島崎京子という選手がすごい」 と、島崎さんのことは知っていましたが、とてもじゃないけど同級生とは思えないほどレベルが高かった。 がっついたスケーティングではなく軽やかなスケーティングで、見ていても惚れ惚れするような滑りでしたし。「同級生であれだけセンスのあるスケーティングをするなんてすごい!」 と思っていたんです。
 でも、あるときふと考えた。私は力任せでパワフルに行くスタイルで、島崎さんとタイプが違いますが、自分の力が伸びていくのを感じるごとに 「彼女にできて私にできないことはないんじゃないか」 と考えるようになって。そのうちに、いつしか島崎さんは私の目標になっていました。社会人に入っても、差は1年2年ではもちろん埋まらないかもしれないけど、追いかけ続けて3年4年くらい経てばわりに僅差まで迫れるんじゃないかと、自分を奮い立たせたんです。そのためには、一方的にライバル視するのではなく、彼女のいいところを盗んでいく姿勢で行こうと考えていました。
 でも、今の私のように30代後半でもできることを証明するだけでも、先駆者になれるのかなと思っているんです。これも一つの私の幹ですね。
 
 
 
 

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