仕事をしながらプロキックボクサーを目指す

インタビュアー 内山高志(元ボクシング世界王者)
坂上 私は18歳の頃に運送の仕事を始めたんです。もともと父親が軽貨物運送事業をしていたこともあって、20歳のときには自分のトラックを購入して個人で運送をしていました。その後、父が一般貨物運送事業で会社を興したときに借金を背負うことになり、私も家業に入って借金を返済したんです。そして、1995年から代表取締役に就任し、現在は会長職を務めています。
内山 ご苦労も経験して、代表になられたんですね。坂上会長はキックボクシングもしていたと聞いています。
坂上 そうなんです。家業を継ぐ前から、プロを目指して伊勢原市にある谷山ジムに所属していました。でも、家業を継いで仕事重視の生活になってからは練習から遠ざかっていたんです。その後、経営が落ち着いてから、厚木市にSHINKOH MUAYTHAI(シンコウムエタイ)ジムを開いたんですよ。それからは、夢だったプロデビューを果たすために仕事の傍らトレーニングをし、28歳でプロデビューしてから引退するまでに、15戦くらいを経験しました。現在もキックボクシング界の発展には尽力していまして、ジム運営のほか、2019年2月からはニュージャパンキックボクシング連盟の理事長を務めています。
内山 私も仕事をしながらボクシングをしていた時期があります。両立するだけでも大変なのに、プロとしてそれだけの試合をこなしたのはすごいことですよ。