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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

製造業を土台から支える
工場設備の設計・製作

 

先端技術に触れながら豊富な経験を積む

 
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吉井 製造業を支えている宮地社長が、どんな経験を積まれてきたのか、そのご経歴もお聞きしたいです!
 
宮地 もともと父が板金職人をしていて、私も小さい頃から仕事場へ遊びにいったり、仕事を手伝ったりしていたんです。それで自然とものづくりへの興味が湧き、工業高校を卒業後は大手自動車メーカーに就職しました。そこで製造業の基礎的な経験を積み、しばらくして退職したあと、父の仕事を手伝うことになったんです。当時、父はある会社から仕事を請け負い、その工場を借りて作業をしていました。その後、その会社が工場設備を拡大することになり、同社の社長に「ぜひとも社員にならないか」と誘われて入社したんです。そこでは15年ほど勤務していました。
 
吉井 ということは、その会社で本格的に製造業のノウハウを学ばれたわけですね。
 
宮地 ええ。その会社に私が入社したのは、職人が手作業で板金や溶接をしていた時代から、次第に機械化されていく、ちょうど過渡期でした。会社も少しずつ新しい技術や機械を導入していく中、若手社員が私しかいなかったので、導入した機械の使い方などをすべて覚えさせられたんです(笑)。その結果、製作工程を最初から最後まで、1人でできるようになったんですよ。
 
吉井 すごい! 最先端の技術に早くから触れていたんですか!
 
宮地 そうですね。でも、やはり最初は大変でした。昔は板金加工で必要な金型をつくるために、木製の型を製作する職人さんがいたんですよ。その木型も職人さんが手作業でつくっていたので、優先順位的に一番年齢が若い私の依頼が後回しにされていました。すると、納期がずいぶん遅れてしまうわけです。ですから、年末年始もずっと仕事を続けていましたね(笑)。
 
吉井 それは大変・・・かなりのハードワークだったんですね。
 
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宮地 そこで、業務の改善を社長に相談したんです。当時、コンピュータを使って部品などを設計する、いわゆるCADシステムが実用化され始めていました。それを社長に「ぜひ導入しましょう」と言ったところ、一言「わかった」と快諾してくれたんですよ。今でこそCADは一般的です。でも、その頃はパソコンもまだ普及していない時代で、1台2千万円もするワークステーションと呼ばれる業務用コンピュータを導入しました。
 
吉井 その社長さんはとても先見の明をお持ちで、柔軟な経営方針の方だったんでしょうね。
 
宮地 はい。若手だった私の意見にも耳を傾けてくださいました。その後も、社内改革を担当するなど、良い経験をさせていただきましたね。しばらくして、その社長が亡くなったとき、それを機に私も独立しようと決意しました。そして、1999年に弊社を設立したんです。設立当初は、製造依頼の仲介業や人材派遣業などを行っていました。