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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 山梨県出身。高校卒業後は自動車ディーラーに就職する。その後、産業廃棄物の収集・運搬会社に勤務。やがて処理業務に興味を持ち、独立する。時代がリサイクル社会に向かう中、大阪の薬品メーカーが開発した薬品と出合い、焼却灰等を再生するシステムを構築。2009年、千葉県内にリサイクルプラントを設置し、産業廃棄物処分業の許可を取得した。2012年には産業廃棄物処理のコンサルを行う新会社も設立。NPO法人グリーン環境技術工業会の技術指導部にも所属している。【ホームページ
 
 
 
近年、技術革新によって様々な廃棄物がリサイクルされるようになったが、処理業者が少なく、また再生できない廃棄物も多いため、「ゴミゼロ社会」の実現はいまだ遠い。そんな中、かつては不可能だった焼却残渣物の再生を可能にした立役者が、株式会社ビギンの渡辺信芳代表取締役だ。長い業界歴の中で培ったノウハウを提供すべく、同業他社へのコンサルティングにも乗り出し、クリーンな社会の実現を目指している。
 
 
 

大量のゴミが日本の法律を変えた

 
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インタビュアー 相原勇 (タレント)
相原 渡辺社長はビギンとエム・ワイ・ハーモニーという、2つの会社を経営なさっているそうですね。まずはそれぞれの業務内容について、教えてください。
 
渡辺 2006年に設立したビギンでは、産業廃棄物の処理業を手がけています。いっぽうで、2012年に設立のエム・ワイ・ハーモニーでは、産廃処理やリサイクルの許認可に関するコンサルティングを行っているんですよ。
 
相原 私は海外での暮らしが長いので、日本に帰ってくると、ゴミの分別回収がとても厳しいなと感じます。アメリカでは、生ゴミもビンも缶も、家電でさえも一緒くたに捨てているので(笑)。
 
渡辺 そうですか(笑)。日本では、戦後からビンや缶(鉄類)を再利用していました。しかし、バブル期には世の中に物があふれ、それと同時にたくさんのゴミが生まれたことは、ご承知の通りです。その頃私は産業廃棄物、産廃の収集・運搬を手がける会社で働いていました。廃棄物の量に比べて処理業者が圧倒的に少ないので、処理業者さんにはとても気を遣っていたものです。何しろ当時は、収集・運搬業者も処理業者も一括りに産廃処理業と呼ばれていましたが、実際に処理に関わっていた会社は1割程度でしたからね。
 
相原 そんなに少なかったんですか! その1割の業者のもとに大量のゴミが押し寄せたのだから、厳しく取り締まる法律ができても不思議ではありませんね。