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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 大阪府出身。父が地元で営む呉服店を継ぐために、18歳から愛知県の老舗呉服店で修業を積む。日夜、厳しい営業の仕事を乗り越え、実家を引き継ぎ店主に。日々、呉服店を営む中で、顧客から結婚の仲介役を頼まれることが多かったことから、結婚相談所ANELA BRIDALを設立。妻でカウンセラーの芳崎真紀氏と共に、多くの成婚を生むべく尽力している。【ホームページ
 
 
 
2016年4月、大阪府大阪市にオープンした結婚相談所「ANELA BRIDAL」。代表の芳崎勝大氏は、地元の呉服店経営者でもある。「良い人がいたら紹介してほしい」と顧客から釣書を託されることも多いという呉服店での経験から、良縁を求める人たちのために結婚相談業に進出。「“おせっかい”と言われるほど、親身なアドバイスをしたい」と意欲を燃やす芳崎代表とインタビュアーの名高達男氏が、結婚の素晴らしさについて語り合った。
 
 
 

呉服業がきっかけで結婚相談所をオープン

 
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インタビュアー 名高達男(俳優)
名高 今年2016年4月、大阪市に結婚相談所をオープンされたばかりのアネラブライダルさん。この度は、開業おめでとうございます! 実は芳崎代表は、呉服店も経営されているとか。
 
芳崎 はい。出身地でもあるこの平野区で、今も営業しています。もともと私の父が呉服店を経営していましてね。父の後を継ぐために、18歳から21歳まで、愛知県の老舗呉服店へ修業に行きました。その店には全国から呉服店の跡取りが集まって、一緒に寮で生活しながら、商売のいろはを学ぶんです。呉服業界には、そういう仕組みがあるんですよ。
 
名高 住み込みで勉強とは、大変そうだ。ご苦労も多かったでしょう。
 
芳崎 子どもの頃は、恵まれた環境で育ててもらいましたので、慣れないせいもあり、辛かったですね。日中の仕事を終えてやっと寮に帰れても、夕食を食べたらまた営業に出る。そんな毎日の中で、耐えることの大切さや遠くにいる家族のありがたみを学ぶことができました。
 
名高 そこから結婚相談所の開業までは、どのようにしてつながったのでしょう。
 
芳崎 呉服店というのは仕事柄、お客様から娘さんや息子さんのプロフィールが載った「釣書」をお預かりすることが多いんですよ。
 
名高 「誰か良い人がいたら、うちの息子や娘を紹介してほしい」、ということですね。
 
芳崎 おっしゃる通りです。またお客様から「ぜひ、仲人をしてほしい」と頼まれることもあります。そういったことがよくあるので、呉服店は求婚者についての情報が自然に集まる場所なんですよ。