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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 滋賀県出身。建設会社を営む家に生まれる。専門学校を中退して上京。その後、富山県に移って建設会社に入社した。ノウハウを習得する中で、資格の必要性を実感。大阪の専門学校へ通い始める。昼は仕事、夜は学校の生活を続けて資格を取得した。24歳のときに家業である内海建設(株)への入社を決意。2代目に就任してからも、創業40年以上の歴史に恥じない質の高い仕事で、多くの顧客から変わらぬ信頼を寄せられている。【ホームページ
 
 
 
人間は人生の中で様々な良い出来事、悪い出来事に遭遇し、そのひと時だけに気を取られ、喜んだり、嘆いたりする。しかし、大切なのは、長い目で人生を眺めたときに、ハッピーエンドであると思えるかどうかなのだ――。紆余曲折あった時代から現在までを語る内海建設株式会社の代表取締役・内海弘樹氏の言葉は、目先のことにとらわれがちな私たちに、大局的な視野で考えることの大切さを教えてくれる。
 
 
 

迎えに来た両親を見て家業を継ぐことを決意

 
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インタビュアー 水野裕子(タレント)
水野 滋賀県で40年以上の歴史を持つ、内海建設さん。内海社長は2代目だそうですね。若い頃から家業を継ぐ気持ちはあったのですか?
 
内海 それが、全くなかったんですよ(笑)。家出同然で上京したこともありました。ただ、東京の水が合わず、先輩を頼って富山県の前田組さんで、下積み仕事をさせてもらうようになったんです。そのときに身をもって、自分の考えの甘さと、世の中の厳しさを知りましたね。今後も建設の仕事を続けるなら資格が必要だろうと感じ、大阪にある夜学へ通うようになりました。朝は仕事、夜は勉強となかなかハードでしたけど何とか卒業し、資格を取得したんです。
 
水野 現実の厳しさを知るにつれて逞しくなっていったのですね。ご両親もお喜びになったのでは?
 
内海 夜学を卒業するとすぐに、2人そろって大阪まで迎えに来てくれましたよ。でも、私の本音としては、まだまだ会社の後を継ぐ気はありませんでした。ただ、最後に会ったときよりも体が一回り小さくなったように見える両親の姿を見て、「大事に育ててもらった恩を返さないといけない」と思いました。それで、「家業を手伝おう」と決意したんです。それが24歳のときでしたね。
 
水野 大きな決断をされたわけですね。