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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 東京都中央区築地出身。明治時代に創業の 「東源正久」 の三代目当主、小川三夫氏の長女として生まれる。鍛冶場は女人禁制の世界で、鍛冶場に入ることが許されなかった。しかし、三代目の逝去に伴い、店舗運営を手がけることに。現在は五代目を継ぐ石川裕基氏に、商売の心構えや築地の慣習や文化、そして代々受け継がれてきた職人としての姿勢と心意気を伝えている。【ホームページ
 
 
 
洋の東西を問わず、包丁は料理人にとって命とでも言うべきもの。切れ味はもちろんのこと、コシの強さや硬度、耐久性などが使い勝手を大きく左右する。刀鍛冶の伝統製法を受け継ぐ 「火造り本鍛造」 で一丁ずつ手づくりする東源正久(あずまみなもとのまさひさ)は、東京の魚河岸と共に歩んできた老舗包丁店だ。鍛冶・研ぎ職人の手による名刀を求め、築地のみならず全国から顧客が訪ねてくる。料理界を裏方で支え、伝統技術の継承にも努める四代目当主・小川由香氏にお話をうかがった。
 
 
 

600年の伝統技術が築地に生きる

 
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インタビュアー 城彰二(サッカー元日本代表)
 東源正久さんは、明治時代から続く老舗の包丁専門店だとうかがいました。
 
小川 創業は明治5年、大阪の刀鍛冶であった源正久の次男、中村鉄二郎が東京で出刃鍛冶を開業し、「東源正久 (あずまみなもとのまさひさ)」 を名乗ったのが最初とされています。源正久は代々源氏に仕えた刀鍛冶で、起源を辿れば600年前に遡るんですよ。
 
 600年前!? すごいな、それは。脈々と技術が受け継がれているんですね。創業当時からこの場所に店を構えているんですか?
 
小川 いえ、創業時は日本橋に店舗を置き、鍛冶場は神田鍛冶町にありました。その頃はまだ築地市場は存在せず、大規模な魚河岸は日本橋にあったんです。
 
 そうか。そういえば、文献で目にしたことがあります。魚河岸は関東大震災で壊滅し、築地に移転したそうですね。
 
小川 はい。正式に 「中央卸売市場」 となったのは1935年です。市場の移転に伴って当店も築地に店を移して、現在に至ります。先代である父の三夫が生まれたのが1933年で、築地の移転が具体化してきた2011年に他界しましたから、先代の人生はまさに、「築地と共に歩んできた」 と言えるものでした。