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スポーツ 建山義紀の「ココだけの話」 vol.7 必ず誰かが見てくれる 建山義紀の「ココだけの話」 テキサス・レンジャーズ投手

スポーツ
 
 こんにちは、「ニューヨーク・ヤンキース」 の建山義紀です。
 
 いやあ、あらためてのこの自己紹介、どんな印象ですか?(笑) さて、ご報告です。先月の21日、メジャー挑戦からの3年間を過ごしたテキサス・レンジャーズを離れ、ニューヨーク・ヤンキースにトレード移籍になりました。突然の話やったからびっくりした人も多いんちゃうかな?(笑) ということで、せっかくタイムリーなので、建山ヤンキース入団秘話をちょこっとだけ教えましょう。ここだけの話やで!
 
 

電光石火の3日間

 
 アメリカでのトレードは本当に突然です。何の前触れもなく、不意に監督室に呼ばれるんですわ。監督室に呼ばれるということは、メジャー昇格か、リリース (トレードなどによる売却) か、どちらかしかありません。ぼくの場合、6月は調子が良くなかったので、昇格は考えられへんかった。「ああ、トレードやな」 とすぐにわかりましたね。
 
 トレードはわかったけど、ヤンキースにトレードは、ちょっとびっくりした。1日目、監督室に呼ばれたのが17時ごろでした。さすがにその日のうちに移動はできんし、新しい球団から連絡が入ってくるから、引っ越しの準備をしながら電話でやりとりをしました。移動開始したのは翌日の朝。飛行機で行きましたが、到着するとクラブハウスへの手続きやらフロントへの挨拶やらであちこちを回らなくてはいけない。それから練習に合流して2日目は終了。で、3日目には登板(笑) 早いと思うでしょう? でもアメリカで野球をしている選手は、基本的にトレードの際はこういう動き方になるんです。アメリカで野球をやるうえでの宿命っちゅうやつやな(笑)
 
 

「どこでも同じやんけ」

 
 もしかすると 「知らない選手ばかりの中で慣れないうちにいきなり投げるなんて不安じゃないの?」 と思われるかもしれません。でも、忙しいだの慌ただしいだの不安だので登板できないなんて、アメリカではありえへん。レンジャーズ時代も選手はコロコロ変わってたから、新しいキャッチャーに向かって投げることもしょっちゅうでした。
 
 アメリカはメジャーの下にマイナーリーグがあり、マイナーリーグは何層ものクラスに分かれています。AAA(スリーA) を筆頭に、AA(ダブルA)、アドバンスドA、クラスA、ショートシーズンA、ルーキー・アドバンスド、そして一番下のルーキーリーグ。その間をいろんな選手が昇格したり降格したりして行き来しているんです。調子がいい選手、伸びてきた選手はどんどん上がっていくし、その逆もしかり。だから選手がどんどん入れ替わる。常に見知らぬ選手とプレーするわけですから、「レンジャーズだろうがヤンキースだろうが同じや」 と思えました。
 
 

アメリカのトレードは栄転

 
 むしろ、新天地で 「いっちょやったろか!」 という気持ちのほうが強かったですね。ぼくね、思うんですけど、本当に世の中、見てくれる人っているんですよ。メジャーのスカウトもいろいろで、アマチュアからの発掘を担当する人もいれば、メジャーの他球団のチームだけを専門に見るスカウトもいる。そのチームで評価されてなくても、もっと評価してくれるところがあればそっちへ行くのはプロとして当たり前やし、チームも本人のためならリリースしてくれる。そういう 「人の目」 がある。
 日本ではトレードというとネガティブな感じがしますやんか? アメリカでは逆。いうなれば栄転です。「チャンス」 です。実際、レンジャーズを離れる時にも、チームメイトや関係者は 「おめでとう」 「やってこいよ!」 というお祝いの言葉をくれたしね。
 
 見てくれる人は見てくれている。言った通り、レンジャーズで最後の時間を過ごした6月、ぼくは決して調子が上がっていたわけではなかったんです。6月にはフリーエージェントになれたけど、調子が上がらないんじゃフリーになっても意味がない。そこにヤンキースのスカウトが、今回の話を持ってきてくれた。そう、これはぼくにとって大きな 「チャンス」 やったんですよね。
 
 

変化ではなくチャンス

 
 これって、企業でビジネスに携わっている人にも同じことが言えるかもしれませんね。誰にも評価されていないとか、今の評価は間違っているとか、現時点での自分の環境や状態に不安や不満を持つことは、人間、やっぱりあると思うんです。そういうときに、「誰かが見てくれる、必ず見ていてくれるんだ」 と思えるかどうか。
 ぼくは 「必ず誰かが見てくれている」 と思ってやってきました。環境の変化が起きた時、それをただの変化ととらえるか、チャンスととらえるか。そこが大事やと言い聞かせて。もし 「誰も見ていない」 としか思えない毎日だったら、変化を 「俺はこの場所では用済みになったんだ」 としかとれないかもしれない。でも、「誰かが見てくれている」 と思っていたら、変化をチャンスととらえられる。この違いって、野球でもビジネスでも同じやと思うんですわ。
 
 ちなみに、こういったチャンスへの察知能力があれば、次のための準備に大きな差が出ます。準備をしっかりしておけば、対応し、自分の実力を発揮しやすくなるのは当然ですよね。ぼくも 「必ずどこかから話が来るから、最善の準備をしておこう」 と心に決めて毎日を過ごしていました。調子の浮き沈みはありますが、来るチャンスを逃すような真似だけはしたくなかった。だから、ぼく自身は今回のトレードにも不安なく、新天地へ飛び込めているんです。
 
 ヤンキースは伝統あるチーム、名門中の名門です。なので、ドレスコード一つとってもかなり厳しい。レンジャーズ時代は飛行機での移動時はジーンズにシャツというラフな格好でよかったですが、このチームは必ずスーツ着用でなくてはいけません。「気高くあれ」 というチームポリシーがあるのでしょうね。こういう伝統を重圧に感じてしまう選手もいるかもしれませんが、建山義紀、そこは負けずに頑張っていきますよ!
 
 まずはマイナーからのスタートですが、メジャーの40人の枠に入れるように。「誰かを外してでもヨシを入れたい」 と思えるほどのアピールをして。最後のチャンスだと思って死にもの狂いで。よっしゃ、ほな、いきますか!
 
 
 
 

 執筆者プロフィール 

建山義紀 Yoshinori Tateyama

メジャーリーガー

 経 歴 

1975年、大阪府出身。中学時代からボーイズリーグにて野球を始め、現在のピッチングを支えるサイドスローを確立。東海大仰星高校ではエースとして君臨。1998年にドラフト2位で北海道日本ハムファイターズに入団すると、ルーキーイヤーの1999年にいきなり先発ローテーションへ定着。2002年から2004年にかけてセットアッパーとしての才覚を表すと、リーグ最多の13ホールドを記録し、最優秀中継ぎ投手を獲得。その後、先発・リリーフともに計算できる投手としてチームに貢献した。2010年に海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明、テキサス・レンジャーズとの契約を勝ち取った。2013年のシーズン途中からニューヨーク・ヤンキースに移籍。サイドスローから繰り出す角度のある速球と、ダルビッシュ有選手をして 「球界最上」 と言わしめたスライダーが武器。

 ツイッター 

http://twitter.com/tatetatetateyan

 
 
 
 

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